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制作こぼれ話

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貴重な『筑摩』の写真(歴史群像130号)

写真探しの苦労

 戦史関係の記事を編集していて苦労するのは、日本海軍艦艇の写真の少なさである。
 これは、どの雑誌の編集部も必ずぶつかる壁である。
 アメリカやドイツ、イギリスには大量の戦争関連写真が公的にアーカイブ保存されており、料金を払えば誰もが利用可能であるのとは大違いである。
 日本における戦前の軍事関連写真は、陸海軍や省庁が所有していたであろう原板や一次印画が、空襲で焼けたり、終戦時に焼却されたり、個人が秘匿したり、自然散逸してしまったものが相当数あるものと考えられる。
 ある有名な艦艇研究家による写真コレクションが、公的なミュージアムで公開されて、雑誌などで利用できるようになったのは、ここほんの10年ほどのことである。それとても、太平洋戦争に入ってからのものは決して豊富とはいえない状況にある。
 個人が所有してアルバムに貼っていた写真も同様に、空襲や天災で消失したり、世代交代や住居建替えの際に処分されたりして、失われたものが相当あるだろう。
 昨年、ある有名な駆逐艦艦長の写真をそのご子息からお借りしたときも、それが唯一残ったものだと知らされた。というのは、転勤の多い職業に就いたため、引越しが多く亡くなった父親の写真にまでは気がまわらず、捨てたという意識はないが、いつの間にかなくなっていたということであった。遺族が、残された写真の貴重さや、父親の偉大さに気づいたりすることは、どうやら稀なことらしい…。


ここでは、谷川さんのアルバムから本誌掲載分以外の2点を紹介しよう。これは、昭和14年5月20日、三菱長崎造船所で行われた『筑摩』引渡しの記念写真である。艦尾付近で撮影されたもので、水偵運搬用の軌条(レール)が、椅子の脚ほどの高さがあったことがわかる。

添え書きはないが、『三隈』と思われる写真。高速で波頭に突っ込み、まさに波が前甲板を洗わんとする瞬間である。甲板員が慌てて退避する様子が窺える。高性能の誉れ高い15.5cm三連装砲のディテールがよくわかるが、この主砲はやがてより強力な20.3cm連装砲へと換装される。

追えば逃げ、待てば出てくる?

 さて、今号からの連載『海上自衛隊の誕生』のスタートにあたり、“主人公”の谷川清澄さんのご自宅を、著者である手塚正己さんと星川編集長とともに訪れた。担当としてのご挨拶と、手塚さんのインタビューが名目であるが、戦後~海自草創期の写真を“発掘”させていただこうという狙いもあった。
 しかし、その思惑は外れた。その時期のアルバム、写真保管箱らしきものは見当たらなかった。昭和20年代、日本人はまだ等しく余裕がなかったのだ。谷川さんもその例外ではなく、急速な社会の変化や生活に追われ、写真の整理どころではなかったのかもしれない。
 ただ、今回は連載初回で旧海軍時代の話も出てくるため、その部分に掲載する写真も必要だった。そこで、編集部が別件で以前お借りした、谷川さんの戦前のアルバムにあった写真を見てみた。
 すると、主に兵学校在籍時から卒業後の数年間に撮られたそれらの中に、何枚かの興味深い写真があることに気がついた。巡洋艦『三隈』や『筑摩』というメモのある写真である。最上型もさることながら、利根型の現存する写真は極めて少ない。






これは、太平洋戦争シリーズ38『最上型重巡』にも掲載された、『三隈』の煙突左側面。本誌141ページに掲載した写真とは、配管や足場の位置が違うことは明白だ。

『三隈』ではなく『筑摩』と判明

 そのうちの1枚が、今号の141ページに掲載させていただいた、“三隈33ノット”と書き添えられていた写真である。
 最上型の前檣位置から艦尾方向を撮影した写真はいくつかあるが、『三隈』のものは見たことがない。
 ところが、拡大して見ると、煙突側面の配管や天蓋の形状が最上型とは少し違う。さらによく見ると、この位置からでも少しは写っていておかしくない後部砲塔や砲身がチラリとも見えない。最上型の同アングル写真では、たしかに後部砲塔が見えないものもあるが、この写真で見えないのは不自然である。さらに、後甲板の中央を、最上型にはない線状のものが艦尾まで走っている。水偵運搬用軌条のようだ。
 これらの観点から、利根型の現存する写真・図面と睨めっこして、利根型の写真だと判定した。同型は最上型から派生した型であるため、煙突周りの高角砲やカタパルトの配置が酷似しているのだ。
 また、谷川さんが『筑摩』に乗り組んでいた時期、および煙突の二本白線から、就役間もなく第六戦隊二番艦にあった時期の同艦であると推測した。
 ことは海軍艦艇に限らず、未だ世に知られないままアルバムに眠っている写真はたくさんあることだろう。そうした写真が多数見つかって、歴史研究や史実解明がより進むことを願っている。

 読者諸賢の反応を待ちたいと思う。

(文=老兵バーク)