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制作こぼれ話

裏話~海自練習艦隊のガ島寄港はこうして実現した(歴史群像128号)

 本誌128号のトピックスでご紹介した、海上自衛隊のガダルカナル島寄港は、戦後71年目の“歴史的激戦地”への日の丸艦隊の訪問ということもあり、大きな話題となった。今回は、本誌の記事で紹介しきれなかった、ガ島寄港の余話を徒然に記してみたい。

練習航海のルートはどう決まるのか

入港早朝、遂にガ島が見えて来た。目指すはルンガ泊地である。

遺骨は練習艦隊に引き渡しをされた。先頭は練習艦隊先任伍長。

練習艦隊乗員の手により練習艦「かしま」に安置される。

ソロモン平和記念公苑にて献花を実施する。

 まず最初に、ガ島訪問の大きなきっかけとなった海上自衛隊の練習航海とはどのようなものなのか、触れておこう。海上自衛隊では、幹部候補生学校を卒業した実習幹部が長期間の練習航海を行う。彼らを乗せた練習艦隊の遠洋練習航海は、概ね5つのコースを順繰りに回っている。世界一周コース、北米コース、南米コース、環太平洋コース、インド洋・中東コースである。
 平成26年度は環太平洋コースが選ばれた。正式には防衛大臣の命令で遠洋練習航海は実施されるが、コース内容については、海上幕僚総監部の防衛部が基本プランを作成する。通常コースが定まると、各国の在外公館にも支援してもらうことになるので、外務省にも事前の相談が行われる。
 遠洋練習航海は単に実習幹部の教育の機会だけでなく、外交・親善も大きな目的のひとつである。今回は、外務省からは我が国とカリブ諸国の交流年に当たるということから、寄港先としてパナマ、キューバ、トリニダードトバコ、ジャマイカなどが追加されることとなった。
 加えて練習艦隊司令官としては、環太平洋コースは特に後半に太平洋戦争の激戦地を巡る航海となるため、少しでも元戦地だった場所を訪れることにより、実習幹部の教育や、また慰霊行事が出来ないか、という思いがあった。

航海速度も深く関係するスケジュール調整

 スケジュールの調整が続く中で練習艦隊司令官は、ガタルカナル島になんとか立ち寄ることが出来ないか、幕僚に検討を依頼した。主に訓練幕僚は検討に入り、せめて領海に入りガ島をこの目で見ることは可能かどうかの調整に入った。
 この場合の調整とは、寄港予定の諸外国に迷惑はかけられないため、出来るだけ寄港地の予定は変更したくない。そうなれば通関などに予備として設定されていた仮泊日の節約、寄港地から寄港地への平均速度=SOA(スピード・オブ・アドバンス)のアップが必要となる。ただしSOAを余り速くしてしまう予定を組むと、天候の悪化などにより予定していた速度が出せないケースがある。基本はだいたい12ノットなので、ややそれより速く進める海域はSAOを高めにした結果、当初はガ島の領海だけだったが、半日寄港してせめて上陸たけでも、そして最終的には1泊2日の寄港が可能となる日程を組むことができそうになった。

遺骨収集活動と練習艦隊の連携

 ガ島に厚生省と連携して毎年遺骨の情報収集を実施している「ガ島未帰還遺骨情報収集活動自主派遣隊」という組織がある。母体は「全国ソロモン会」で、隊員は有志のボランティアからなり、会社員や元自衛官、学生で組織されている。隊長は浅草の寺の住職である崎津寛光氏が長年、文字通りライフワークで粉骨砕身の活動を続けており、今回が第4次派遣となる。
 崎津隊長はかねてから、なんとか練習艦隊をガ島に寄港してもらい、遺骨を飛行機の貨物室ではなく、自衛艦で日本に帰還してもらうことを悲願と考えていた。しかし、民間のボランティア団体では、いろいろと限界もある。海上自衛隊に懇願する手段を持ち合わせていなかったのだ。そこで、あらゆる人脈を介して、当時の自衛艦隊司令官に嘆願書やガ島の調査書を託し、何とか実現の可能性について検討を進めてもらえないかと直訴したのであった。ところが、こうした直訴が叶ったのは2014年の2月のことで、この時、当時の司令官は3月末での退官が迫っていた。
 これで民間からの嘆願も困難と思いきや、退官の手続きを進める人事教育部長が訪問した際、これを迎えた自衛艦隊司令官が先のガ島寄港の嘆願書と調査書を「私の遺言である」と託したのである。敬慕する先輩でもあった司令官に遺言とまで言われた人事教育部長は、早速、たまたま同期である防衛部長に検討を依頼、防衛部でガ島への寄港が可能か否かの再検討が始まった。まさに幸運、今思えば奇跡としか言いようがない展開であった。

多くのハードルを“想い”の力で乗り越える

 当然ながら、細部を詰めるにあたっては練習艦隊と協議をしなくはならない。この時点で練習艦隊司令官から寄港はやはり不可能と言われればそれまでである。しかし、前述したように、丁度この時期、練習艦隊司令官の想いから、幕僚がガ島寄港の可能性を検討していた最中だったのである。
 このことが追い風となり、ガ島寄港に向けて大きく前進した。ただし当然、厚労省や外務省に異論があれば、再び白紙に戻る可能性もあった。このハードルを乗り越えることができたのには、心強い理解者の存在が大きかった。外務省の政務官、宇都隆史参議院議員である。
 宇都議員は大戦中の遺骨収集に大変熱心な方で、ガ島寄港、および収集した遺骨の自衛艦による帰還について、実現に向けて外務省内だけでなく厚労省をも取りまとめるため、尽力されたのである。こうして様々な立場の人達の気持ちがひとつとなり、71年ぶりのガ島への日の丸艦隊の入港が実現した。政府主導による行事として初めて、戦地に眠る遺骨の、海自護衛艦による日本帰還が叶ったのであった。

(文=勝目純也)