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制作こぼれ話

「戦国の城」撮影取材秘話(歴史群像102号)

瀬戸内の周辺で愛を叫ぶ

しまなみ海道に架かる多々羅大橋から、甘崎城(海上に浮かぶ大きめの島)を望む。撮影ポイントの選定も重要なミッションです。

 92号こぼれ話に引き続き「戦国の城」シリーズ第三弾として、今回も撮影取材の裏話をご紹介します。小生は「城は国宝にあらず、要塞だ!」がモットーのお城取材班へ配属となり、「腰越城」の回(101号)より撮影取材に同行しております。今までも一歴史ファンとして個人的に城を訪ねることはありましたが、徹底して軍事的な視点から城を見るのは初めての経験であり、大先輩(教官ともいう)の「教育してやる!」という怒号のなかでの初取材になりました。教官(風間杜夫ではなくハートマン軍曹の方の)によれば、城を見るときのポイントは守備側の視点だけでなく、自分ならこの城を「どう攻撃するか」という視点を持つことが大事とのこと。
 お城取材は、現地の写真撮影、つまり城の遺構と現況を写真に収めるのが第一の目的ですが、山城撮影ならではのポイントがあります。城の大事なパーツである竪堀や郭跡ですが、たとえば山中城(静岡県三島市)のように史跡公園として整備された所では問題ないのですが、山城のほとんどは往時と異なり木々が生い茂っており、そのまま写真に収めても背景に溶け込んで立体感が無くなってしまい、何の写真だか分からなくなってしまうのです。そのため近くに人を立たせるなどして、遺構を目立たせる工夫をしなければなりません。本誌の掲載写真のなかによく編集スタッフが写っているのはそのためです。
 また撮影取材を行うにあたっては、執筆者から届いた原稿をもとに、事前に綿密な打ち合わせを行います。関連史料、周辺地域の地形的な特徴、保存状態などの城の現況を調べ上げ、そこで浮かび上がってきた疑問点をもとに取材に臨むわけです。さらには現地に足を運ぶことではじめて気付く事実もあり、その城がいずこにあろうとも現地取材は不可欠となります。それがたとえ海の上であっても……ということで、前置きが長くなりましたが、今回は愛媛県今治市にある「甘崎城」の取材報告です。
 甘崎城は、鶴姫伝説の大山祇神社で有名な伊予大三島から200メートルほど離れた海上の小島にある織豊系の城郭(詳しくは本誌を参照ください)で、干潮時には大三島側から砂州を伝って歩いていくことができるとのこと。編集部で行われた上陸作戦の計画立案会議の結果、今回は東京から距離もあるということと、干潮時刻の関係で1泊2日の取材旅行と相成りました。
 当日は、昼過ぎに広島県の福山駅に集合。レンタカーに搭乗して、瀬戸内しまなみ海道から陸路(海路?)にて風光明美な芸予諸島へ。干潮時刻の関係で甘崎城の取材は翌朝に回し、初日は大三島を抜けて今治城(藤堂高虎の記事に使用するため)の撮影。夕方、大三島に戻り甘崎城の下見。砂州が半分ほど現れているのを確認したのち民宿にて一泊。
 さて翌朝、現場に到着した我々を待ち受けていたのは……!! なんと取材班を嘲笑うかのようにそびえる海上の要塞。干潮時刻のはずなのに砂州は見えず。もっとも事前調査によれば、干潮時は歩いて渡れるという話だったので、かすかな希望を胸に教官ともども状況開始。しかし雲ひとつない好天とはいえ、まだまだ6月。冷たい水の中をゆっくり進むも、底に足がつかなくなり、あわてて退避。メメント・モリな状況で取材中止かというところで、先輩スタッフがシャレで持ってきたゴムボートを本来の用途で使うことにして取材続行。しかしボートは一人乗りのため、小生と教官は無念の上陸断念。取材自体は無事に終了したものの、教官は東京に帰ってきてからも、甘崎城に上陸できなかったことを「一生の不覚」と悔やんでおりました。
 このようにスタッフ一同、文字通り命掛けの取材によって誌面作りに邁進していきますので、今後も「戦国の城」をご贔屓くださいませ。

(文=山猫の小平太)

藤四郎は見た!


 

 
 さて、ここからは「戦国の城」取材チームの一員である私、藤四郎が上記撮影取材の「裏の裏話」を、写真解説とともにお伝えいたします。
 まず、写真①をご覧ください。これは101号で紹介した「腰越城」の主郭虎口の前面にある曲輪を撮影したものですが、注目いただきたいのは写真内の男たち。左側が、古参スタッフである「教官」こと次郎太。右が初めて取材に同行した小平太です。標柱のごとく直立不動の姿勢を崩さない次郎太に対し、大物感あふれる小平太の立ち姿……。彼が「驚異の新人」と謳われる理由の一端が伺えます。
 続いて写真②。これが上記「小平太の裏話」では「シャレ」で持ってきたことにされているゴムボートです。ご覧の通り、カメラなどの撮影機材を水に濡らさず運搬するための物であり、海城の取材には大変重宝します。
 最後は、上陸断念ということで水遊びに興じる二人(写真③)。大潮の干潮時以外は、徒歩で甘崎城址に行くことはできませんので、皆様もご注意ください。ちなみに「教官」は、記念撮影のためだけに東京からヘルメットと陸自の旧作業服を持参。小平太は「瀬戸内に現れた海賊王」をテーマに「麦わら」的な衣装をセレクト。サービス精神の範疇を超えた二人の姿を見て、今後の取材が不安になりました。

(文=藤四郎)