制作こぼれ話

真田氏を愛する上田の街を歩く (歴史群像137号)

 こんにちは。城マニアのいなもとかおりです。6月号105~109ページ掲載「第一次上田合戦の歩き方」の取材に同行させていただきました。NHK大河ドラマ「真田丸」でも、2016年4月上旬に第一次上田合戦のエピソードが放送されましたね。城下町を利用した合戦シーンは手に汗握るほどリアルでかっこいい! 実にタイムリーな話題です。

 第一次上田合戦では「とある地形」が運命を分けるポイントとなったようです。地図を見るのもヒントになるけれども、高低差や見える景色は現地に行って自分の目で確認してみないとわからないもの。城を歩くのは慣れていますが、合戦場を歩くのは初めての経験でした。城を歩くだけでは知り得ない戦いの姿が見えるのか? 詳しい内容は是非6月号を読んでくださいね。

 街を歩いて見えたものといえば、上田市の真田愛もまた然り。

住所の看板も六文銭

バスも六文銭

マンホールも六文銭

コンビニのメニューにも六文銭おにぎりセット

ベンチも六文銭

このように、真田氏の家紋が街中に溢れていました! たとえ、お金をかけて作らなくても、遊び心と真田氏への愛があれば六文銭は現れる。

神川には丸太の手造り六文銭

W六文銭信号機。おっと、これは違うか

地元出身の武将がいて、街をあげて応援できる環境はとても羨ましいものです。


夕陽をまとった雄大な上田城・南櫓

 実は、6年振りに訪れた上田市。あの当時の写真に人影はなく、天守の実在していない上田城を「お嬢さん、そこに城はないよ」と案内された記憶が蘇ってきました。それが今では、閉館間際になっても「大河ドラマ館」は人でごった返し、城内を散策する観光客は日が暮れるまで途切れません。空堀跡の「上田城跡公園野球場」では、慣れたように野球関係者の方からお声掛けいただき、ウェルカムモードの上田市の方々に感動を覚えました。城跡にたくさんの人が訪れるのは、一人の城マニアとして嬉しいものです。空堀や土塁が城の一部だと気づかれなくても、大河ドラマが最終回を迎える日がきても、城跡を歩く人々の姿をずっと見続けることができたらいいな。

山城を「なめんなよ!」怪我をしないようにしっかり装備して行こう

 最も大河ドラマの影響を感じたのは砥石城跡でのこと。正直、マニアックな山城に、観光客がいるなんて考えたこともありませんでした(笑)。撮影中にも10人以上の散策客とすれ違いましたが、トレッキングシューズを履いているのは我々4人だけでした。なかでも、5歳未満のお子さんに傾斜の強い斜面を登らせるお母さんにはビックリ。いつでも攻め込めるように幼児期から山城教育をしているわけではなく、山の展望台と勘違いしているようですね。「砥石城をなめんな!」まさに言葉の通り。怪我をしたら元も子もないので、山城を訪れる人が増えた分、城は人を阻む防衛施設だということも周知しなければならないなと感じました。

「編集部の工夫! 撮影の裏側に直撃」

 せっかく「制作こぼれ話」を書かせて頂いたので、普段は見ることができない編集部の撮影の裏側をこっそりご紹介します! 

 まずは、染谷台を撮影している時の一コマ。たまたま立ち寄った染屋城跡に堀の遺構があって大喜び。記事にしようと計画を立てている様子です。ご近所の方に資料をいただき輪になって読んでいます。童心に返ったかのよう。心底、歴史が好きだという気持ちが伝わってきませんか?

 この日、樋口左衛門尉氏は軍用の方位磁石を持参していました。その名も「レンザティック」。「シルバ」と呼ばれる一般的な方位磁石とは異なり、対象地を見つけるには便利なのだそうです。活躍の場は、米山城から上田城を見つける時にやってきました。樋口氏が取り出した地図には何やら線と数字が書いてあります。あらかじめ方角を地図に記してあるそうです。レンザティックを使って城下町を見つける。凄まじく速いです。

さらに、撮影カメラに分度器をセット。こんなカメラの姿見たことがありません。方位磁石で読み取った方角を合わせて、正確な城下の位置を撮影しているそうですよ。なんたる工夫。しかも、新兵器! 新しい方法を常に試行錯誤する姿からプロ魂を学びました。

 ですが、進化し続けるプロ達も体力には逆らえません。米山城へ登る道はロープを掴んで登るほどの急斜面。登りきった時には息も絶え絶えです。やっとの思いで登りきった樋口左衛門尉氏の横で、たけ蔵氏と小平太氏が指をさして笑っていました。きっと、お二人も同じ状態だったはず。この後、砥石城から上田城までの道のりを実際に歩いたのですが、やっと上田城に到着した時は足がクタクタになっていました。この疲労感のまま命をかけた戦に挑んだ真田の兵の気持ちを思うと涙がこぼれます。真田の兵がそうだったように、編集者も体力が必要なのだなと感じました。はじめて合戦場を歩いて何を知ったのか? 第一次上田合戦の姿とは? 是非、6月号167ページの「特別レポート」も合わせてご一読ください。

米山城頂上で動けなくなった樋口左衛門尉氏

信繁の母が眠る大輪寺で御朱印GET

(文・写真=いなもと かおり)

NEXT    TOP    BACK