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制作こぼれ話

真夏の編集部レポート(歴史群像127号)

オキナワ弾丸取材

山城取材の際は、「クマ出没注意」で見慣れた感があるんだけど(むろん、充分に注意してます)。ハブだぜハブ!! そのうえ拙者は大の蛇嫌い。たぶん、お会いしたらパニック起こして対処不能。

カブール近郊の爆発物処理班ではなく、嘉数高地のトーチカ内を恐る恐る探る。ジミー。何しろ中にハブがいたらと思うと……

 弊誌編集部員はアウトドア派が多い。例えば『戦国の城』に代表されるように、現地取材が必要とされることも多い。我々、編集者は常に、編集部ではなくお外に出ることを狙っているのだ。そんなわけで『戦闘戦史』も本当なら毎回取材に行きたいところなのである(無理ですけどね)。ところが今回は沖縄が舞台なので、なんとか行きたいなぁと考えていたところ、担当のケミカル・ジミーが、
「某エアラインが格安の深夜便飛ばすらしいよ」
と耳寄りな情報を掴んできた。
 取材費はともかく時間のやりくりがタイトな我々としては願ってもない状況。すぐに取材計画を立案するとともに、編集長に許可を取る。別件の沖縄モノ企画の写真も併せて撮って来れば行ってヨシ。おお会社のゼニでオキナワいけるぞ!!
 もっとも、件の便は夏休みということもあって満席で、他のエアラインに変更。かくして無事、南のリゾートで取材を済ますことができました。めでたし、めでたし。
 なーんてことにはならないのが歴群クオリティー。正直後悔しました。精神力と体力の点で。
 まず、ギリギリまで仕事していたので当日は夕飯抜き。空港のコンビニでなんか買おうと思っていたんだけど、全部閉ってました。そりゃそうだ。もう離発着便ないんだもの。
 機中の人になって見れば、半そで短パン、サンダルの若者たちが過半を占めるなか、拙者だけカーゴパンツに半長靴。そのうえ、座席はギャレー直前の通路側で寝られない。テンション下がりまくり。
 さらに、ドライバーのジミーは取材翌日の編集会議の資料を那覇のホテルで作るハメに。ダイジョブなのか。ホテルに居られる時間3時間だけだぞ。いつ寝るんだよ。
 取材をはじめてみれば、台風の接近でスコールの合間を縫っての撮影。湿度と気温の激しい変化で気分悪くなってきたワ。あげく、某所へ行こうと地元の方に道を聞いてみれば……
 「ハブが出るょー。行ったら危ないサ」
 それでもどうにか取材をこなして、台風に追われるように再び最終便で一路、羽田空港に。むろん計画通りに電車もバスもありませんでしたとさ。
 ということで、ジミーは編集会議出席のため、編集部に早くいけるよう羽田空港そばのカプセル・ホテルへ、拙者は原稿を書くために、タクシーで帰宅。二人の戦いはまだまだ続くのである。
 それでも、どうにか取材目的は達成。ここはほめてほしい。
 しかし、疲れたよ。もう。
 今回の教訓。
 取材は余裕をもって計画的なスケジュールで。余裕というのは自分の年齢と体力を十分考慮することです。
 ちなみ、同じ日に別の取材に行った編集長が、あまりの暑さと体力的なきつさから、拙者にイタズラ電話をしたのは内緒の話である。

(文=樋口左衛門尉)

愛宕山への道

「明智越え」の登山口。ひっそりとした佇まいですが、ここからの登山は覚悟と勇気が必要です。

明智光秀と愛宕大権現

 新史料『石谷文書』の発見で注目を浴びる「本能寺の変」。本誌「本能寺への道」では「本能寺の変」までの明智光秀の足取りを取り上げましたが、今回は紙幅の関係で誌面ではあまり触れることのできなかった光秀の愛宕神社への参詣ルート取材の様子をご紹介いたします。
 山城と丹波の国境にある標高924メートルの愛宕山に位置する愛宕神社は全国各地にある愛宕社の総本山で、古くより比叡山と共に信仰を集め、火伏せ・防火に霊験のある神社として知られています。
明治の神仏分離令以前は、愛宕大権現を祀る白雲寺をはじめとした多くの神社仏閣や修験道の道場があり、本地仏とされた勝軍地蔵には戦勝祈願に多くの武将が参詣しました。歴史ファンには「本能寺の変」直前に光秀が参籠した神社ということでおなじみでしょう。また当神社はレイテ沖海戦で悲劇的な最期を遂げた日本海軍の重巡洋艦「愛宕」の艦内神社の勧請元でもあり、『歴史群像』的には是非ともいっておきたいスポットといえましょう。

明智越えの様子。往時は軍道でもあり、生活道路でもあったため移動しやすさを考慮した平坦な道となっています。

愛宕神社の籤引き。
「大吉」が出るまで何回でもやるのがお約束。

編集部に「勧請」された愛宕神社と国連宇宙海軍・村雨型宇宙巡洋艦「アタゴ」。ちなみに我が編集部のお隣は「ムー」編集部です。

あなたと越えたい 明智越え

 というわけで京都駅からJR山陰本線でおよそ20分、やってきました丹波亀岡。光秀が丹波攻略と経営のため築いた亀山城の城下町です。亀岡駅からタクシーでおよそ10分、「明智越え」の入り口に到着。「明智越え」とは光秀が整備したと伝わる、丹波から愛宕方面へ抜ける山道で、光秀の愛宕参籠の際に通ったルートでもあるため、こう呼ばれる様になったとのことです。愛宕山への参詣は京都市内の清滝からの参道を登るのが一般的なルートなのですが、今回は光秀の足取りを辿るということで、このルートからの登山となりました。
 しかしながら、往事には賑わったであろう山道ですが、行き交う人は全くいません・・・。ただひたすら山道ですが軍道として整備されただけあって、途中からは割と平坦な歩きやすい道となっており、2時間ほどで清和天皇ゆかりの水尾集落に到着。金田一作品に出てきそうな古き良き風景のなかで一息つきます。
 ところが、案内板には「愛宕山頂まで2時間」との無慈悲な表示が。しかも集落から参詣道へと至る道は、信じられないぐらいのきつい傾斜・・・。もはや息も絶え絶え、足ガクガクで、脇は今 汗が下しる さっきから、という状況でしたが、なんとか1時間半ほどで清滝からの表参道に合流。
 神社は京都市内の最高峰ということもあって、参詣客のほかにも多くのトレッカーがいましたが、池でも落ちたんかというぐらいズブ濡れの小生は奇異の目で見られる始末…。とはいえ数々の歴史を目撃した愛宕神社は霊験あらたかで感激もひとしおでした。みなさんも是非、歴史の舞台をこの目(と足)で確認して見てはいかがでしょうか?

(文=本城小平太)