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制作こぼれ話

中国建国60周年「軍事パレード」潜入記(歴史群像98号)

厳戒態勢下の北京に潜入取材敢行!

95式5.8mm小銃を持って長安街を警備する警察特殊部隊。警察が銃に着剣するのは、どのような意図によるものか? まぁ威嚇効果は増すであろう。

深夜の西長安街を警戒する武装警察とWJ3B装甲車。砲塔に装備しているのは7.62mm機関銃で、軍用装甲車のように14.5mmといった大口径のものではない。

03式空降兵戦車。ロシアのBMD空挺戦闘車に似ているが、車体は大型化しているし構造も異なる。乗員3名のほか、4名の歩兵を乗せ30mm機関砲と7.62mm機関銃、紅箭73対戦車ミサイルを装備する。

02式6輪100mm突撃砲。戦車は簡単に空輸できないので、そこそこの火力を持つ装甲車両を迅速に紛争地帯へ空輸する構想で造られたもの。対戦車能力のある装弾筒付有翼徹甲弾が使用できる。

長剣10巡航ミサイル。トマホークに相当する射程3000kmの巡航ミサイル。写真の車両に3発搭載されている。

 2009年10月1日は、中華人民共和国建国60周年の「国慶節」であり、北京の天安門広場周辺で軍事パレードが行われた。
 しかし、中国側は外国の報道関係者を厳しく制限している。となれば、ただの観光客として現地入りし、偶然パレードを見たことにするしかないであろう。
 旅行会社に、パレードの行われる長安街のホテルの、道路に面した部屋がとれるか問い合わせてみると、長安街のホテルは一切宿泊できないということである。天安門から北東1.5kmほどの王府井大街に近いホテルなら泊まれるというので、そこを予約した。普通ならばこんな高級ホテルには泊まらないのだが、今回の場合、宿泊可能なホテルでここが一番会場に近いのだ。
 ところが出発前、旅行会社から連絡があった。「泊まれることは泊まれる。しかし北京中心部のホテルはすべて式典前夜から式典の日の夜まで、宿泊客の外出は許されない」という。要はホテル内に軟禁するというわけだ。そんな脅しで取材を諦めるわけにはいくまい、とりあえず行ってみよう。しかしパレードのリハーサルを取材していた記者が暴行を受け、カメラを破壊されているくらいだ。本番でどれだけ肉薄できるか……?
 さらに、あくまでただの観光客を装って行くのだ。プロっぽいカメラを複数とか、ましてや脚立など持ち込むことはできそうにない。観光客が持っていて不審のない程度の機材に抑えなければならない。

天安門広場を偵察
 9月30日、パレード前日の昼、北京空港に到着してみると、入国審査そのものは新型インフルエンザを警戒している雰囲気のほうが強かった。だが、市内では式典が近づくにつれて異様な厳戒態勢になっていくのだった。
 早速、天安門広場を偵察に行く。途中、何ヶ所かに警察特殊部隊の黒い装甲車やバンが停められ、黒い戦闘服の隊員が95式小銃や97式散弾銃を持って立っている。緑色の制服の武装警察、紺色の制服の一般警察、そしてナチスドイツっぽいデザインのフィールドグレイの制服の警備会社の社員。黄色いトレーナーに「北京治安志願者」と書かれたボランティアの数に至っては数えきれない。
 天安門広場で式典そのものの写真を撮ることは不可能……というより、そもそも近寄れないであろう。よって式典の後、隊列が西長安街をパレードするのを沿道から撮影するしかない。「群衆の頭しか写せなかった」では情けないから、よい撮影ポジションを探すべく地下鉄の駅6つ西の軍事博物館まで行く。
 軍事博物館の対面にある2階がファストフード店になっている建物は、当日営業してくれるなら最高のポジションである。10年前の建国50周年パレードの映像で、背景に写っていた店はきっとここだろう。だが10年前は平常どおり営業していたからといって、今年もそうだという保証はない。
 そこで、地下鉄で来た経路を今度は歩き、よい撮影ポジションを求めて犬の散歩のようにあちこち嗅ぎまわりながら天安門方向へ戻る。だが、撮影ポイントを探すというのは狙撃ポイントを探すのと同じである。あちこちに警察やら兵隊やらガードマンがいるし、不審に思われないようにせねばならない。もっとも、沿道にお祭りの飾り付けが多いせいで、けっこうカメラを持って歩いている市民が多い。ならば、それに紛れて堂々としていればいい。
 偵察しながら歩いていると、日没にもならないうちから商店がどんどん閉められていく。そして、ドアに紙の封印が貼られていっている。閉めるだけでなく封印してしまうようだ。ホテルの出入り口も封印されるのか……ということは、その前にホテルを脱出して外で夜を明かし、翌日式典が終わって封印が解かれるまでホテルには帰れないということになる。
 一度ホテルへ戻り、風呂に入った。そして24時間屋外で活動できるようポンチョ、水、食糧などをデイパックに詰めてホテルを出た。市の中心部の店はすべて封鎖、つまり都心にいながら、明日の夜までは砂漠にいるのと同じなのだ。水一滴買うことはできないと覚悟せねばならない。
 例の軍事博物館対面の店も閉鎖だろうか? 普段どおり24時間営業してくれていれば、そこでコーラやポテトを注文しながら夜を明かし、そのままパレード撮影に入れるのだが――やはりそんなに甘くなかった。店の階段を上がっていくと、最後の客が追い出されようとしているところであった。すぐ近くの台湾式ファストフードの店で夜食を食べ、23時すぎまで時間を潰していたが、ここも追い出されてしまった。さあ、いよいよどこかの植え込みにポンチョをかぶって潜むしかないのか?
 24時まではバスやタクシーが動いていた。バス停付近はけっこう人がいたので、それに紛れ込む。やがてバス停にも人がいなくなり、大通りを行き交うのは警備車両だけになった。周辺の建物はすべてシャッターを下ろし、窓は閉められ、街灯だけが明るいゴーストタウンと化した。

北京市内でサバイバル?
 ポツポツと、濡れるというほどでもない小雨が降ってきた。遠くの空で雷鳴のような音がする。雷雨になるのだろうか、今夜はずっと外にいなければならないのに……。
 音を聞いていると、どうも雷鳴ではないようにも感じられる。ことによると、明日何がなんでも晴天にしたい中国政府は、雨雲を夜のうちに排除してしまおうと、雲の中に人工消雨ロケットでも撃ちこんでいるのかもしれない。
 さて、24時を過ぎ1時になると、再び人の姿が見え出した。五星紅旗の小旗を持っている人が多く、時とともにそれは増えていく。パレードを見ようという市民が三々五々、天安門方向に歩いて行くのだ。それに紛れて筆者もゆっくりした足取りで歩く。
 自転車に乗った治安ボランティアとすれ違ったとき、筆者を振り向いて言った。
「バッグは携帯禁止だよ。わかってるね?」
 そうか、爆弾テロ等を警戒しているなら、デイパックを背負って会場へ近寄れないのは当然だ。市民ボランティアでよかった……。警官に職質されないうちに、このデイパックをどこかへ隠さなくてはと、ポンチョで包んで公園の植え込みに隠した。しかし24時間の戦いが待っているのに、衣服のポケットに入るものだけで勝負しなければならないとは……。水は絶対に必要なので、ペットボトルを手に持つ。
 時々立ち止まっては昼間見た撮影適地の再確認をしていると、修学旅行のような学童の列がやってきた。服装から推測するに、記念式典で何かマスゲーム的なことでもする参加者らしい。そして修学旅行規模ではない、歩兵連隊規模だ。それにしても、何故この深夜か早朝かわからぬような時間帯に、学童を長距離歩かせているのだ? バスはないのか? いや、バスの群もやってきた。こちらは大人が乗っており、何か催し物に使うのであろう派手やかな大道具・小道具を積んでいる。
 そして、オリーブグリーンの軍用トラックの列――

パレード撮影開始…!
 東の空がかすかに明るくなってきたころ、予想外のことが起こった。警察が沿道の市民を追い立てはじめたのだ。
 パレードが行われるということは、沿道に市民が並んで小旗を振る、そういうものだと信じて疑わなかったが、そんな考えは甘かった。沿道に市民は入れないのだ。パレードの隊列は、市民の歓迎を受けることもなくゴーストタウンを行進するのだ。そんな馬鹿なパレードがどこにある。何のためのパレードだ、党と軍の自己満足だけのためにやるのか?
 とにかく、撮影ポイントを選んでいたことはすべて無意味になった。追い立てられた市民が、さきほどデイパックを隠した公園に流れ込んでくる。これはまずい。いや、さらにまずいことに、警察が公園内の市民をも追い立てるべく公園に入っていく。デイパックが見つかるとヤバい。中には持ち主が筆者であることを示す何らかのものも入っている。それが治安当局に見つかれば「ホテルに閉じ込められているはずの者の持ち物が、何故ここにある?」ということになりかねない。しかしこの状況ではデイパックを取りに行くことはできず、見つからないことを祈るばかりだ。
 パレード経路の大通りに交差する道路はすべて封鎖された。北京市中心部は完全に南北に分断されたので、パレードの隊列は、各交差点を通過するタイミングでしか見られないわけだ。が、交差点によって見やすさが違うので、コの字形に裏通りを迂回して次の交差点へ出てみる。それを数回試み、「ここが一番ましなようだ」という所に陣取った。
 同じくパレード写真を撮ろうとする市民が、交差点の手前に張られたテープの前に詰め掛けた。筆者はなんとか最前列を確保。午前8時だ。パレード開始まで2時間ほど、ここで待つ。
 午前10時、どこかから式典の様子を中継しているのであろう放送が聞こえてくる。もうすぐパレードの開始だ。この交差点は天安門から地下鉄の駅5つほども離れている。しばらく待っていると、交差点の中にいる警官の様子で隊列が近付いてきたことがわかり、やがて戦闘車両の轟音も聞こえてくる。
 ―― 来た!
「勇士」型4駆が先導車として走ってくる。中国版ハンヴィー「猛士」も走ってくる。続いて05式8輪歩兵戦闘車が、03式空降兵戦車が、6輪装甲自走120mm迫撃砲がくる。いいぞ、参加車両すべての写真が撮れるぞ!
 ところが、目の前で装輪多連装ロケットの隊列が停止した。何やら点検し始めたではないか。この大きな車両が視界を塞いだ向こう側を、後続の隊列が通り過ぎて行く。空軍迷彩のHQ-9対空ミサイルが通る、無人偵察機システムが通る、DF-15弾道ミサイルも通過していく。
「おのれェ!」
 群衆をかきわけ、裏通りを迂回して別の交差点へ。しかし間に合わない。ひとつ向こうの交差点へ移動するといっても、中国の一区画はすごく大きいのだ。昔の中国の都市は城壁で囲まれていたというのは常識だろうが、その城壁内の街の区画もまた、城壁のように塀で囲われ門が付いている。日本の都市のように建物と建物の間に路地があって、その路地から大通りへ出られるようにはなっていない。これをコの字に迂回すれば1~2kmにはなる。もう疲労で足の裏が痛いような状態なのだ、とても走れない。
 轟音を立てて戦闘機の編隊が通過する。完全に逆光だ。全く太陽を背にして飛んでくれる。おまけにビルの谷間だ。フラフラの状態で次の交差点へ行くと、ロケーションはあまりよくないが、なぜかCJ-10巡航ミサイル車両が止まっており、この写真が撮れた。しかし無念ここまで。隊列は過ぎ去ってしまった。ここまで苦労してこの結果か……。

人のいるゴーストタウン
 パレードの撮影は惨敗に終わった。あのボロ多連装ロケット車両が故障しなければ、全部の車両を撮影できたはずだ。
 それはともかく、故障車両が出なくても、このパレードは成功したとはいえないのではないか。テロを警戒するあまり、一般国民を沿道から締め出してしまった。ゴーストタウンを部隊が行進したって、それはただの行進訓練であって、パレードをやったとはいえない。つまり「少数民族レジスタンスは、中国の建国60周年パレードを挫折させることに成功した」といえるのではないか。
 さて、軍隊の行進は終わったが、天安門付近ではマスゲームやら民間の山車の行進やら、さまざまな行事が行われているはずである。午後になっても依然として市の中心部へ向かう道路は封鎖されたままであり、あのデイパックを隠した公園へ行くことさえできない。
 朝飯も昼飯も食べていない。ペットボトルの水もなくなった。市の中心部の店はすべて閉鎖されている。食べ物と飲み物を求めて南のほうへ歩く。帰るべきホテルとは逆方向なのだが、中心部から離れないと何も手に入らない。祝日で仕事は休み、というより店は閉めることを強制され、バスもタクシーも一切動いていないのだから、市民は仕事をしたくてもできないわけで、所在無げに外をウロウロとしている。だから市内に人の姿は多いのに、都市としては全く機能していない。言ってみれば「人のいるゴーストタウン」である。何か催し物をやっている会場があると思えば警官やガードマンがいて、一般市民は排除である。これは何なのだ!
 寝ていない、足は痛い、腹は減り、喉は乾いている。10kmも歩いたであろうか、ようやくポツポツ店が開いているようになってきた。ギョーザを食ってコーラを飲んで、飲み物のペットボトルを買い、公園を見つけてベンチに寝転がった。夜になれば天安門広場で花火大会があり、それが終わればようやく封鎖が解けてホテルへ帰れるのだ。夕方までここに転がっていることにする。一体、合わせて何十km歩いたのだろう……? いい公園だ、花がきれいだ。
 夕方近くになり、再び市の中心部へ向かって歩き出す。日没後になるとだいぶ道路の封鎖もとけて交通量が多くなり、商店も開いてきたのでヤキソバを食う。店の客の大部分はこのあたりで警備の任務が終了した警官だ。ホテルはここから天安門を通過して北東なのだが、依然として長安街は封鎖されているので回り道して歩いていると、天安門方向の空に花火が上がった。「ギネスに申請する」という盛大な花火大会のはじまりだ。
 天安門の周辺1kmほどは依然立ち入り禁止ではあるが、周辺に夥しい見物の群衆が集まってきた。見物客が車道へ出ないようにテープが張られており、数メートルおきに警官や武装警察の兵士が立っている。
 緑の制服の武装警察は「警察」と呼ばれてはいるが、軽歩兵師団の編成装備を持つ実質「軍隊」である。かつて人民解放軍の陸軍が300万人以上あったものを、約半分にまで減らし、そのかわり武装警察(以下「武警」と呼ぶ)を創った。だから武警は陸軍から追い出された不良軍人の集団かと思えば、どうも隊員をみる限りそうではない。若い武警隊員の起挙容儀は、日本の自衛官以上に端正であり、真面目さを感じさせる。それにしても、こうした雑踏警備のとき立哨している警官はたいてい「休め」の姿勢であるが、武警は「気をつけ」の姿勢を絶対にくずさない、何時間でも。おそらく交代が来なければ倒れるまで……。
 花火大会は、いよいよ佳境である。しかし筆者の疲労はもう極限にきている。花火大会が終わるまで体がもたない。適当なところで東長安街を越えて北側に渡ったほうがわかりやすいのだが、北へ行ける道が見つからない。近くに婦人警官がいたので道を聞いてみた。
「請問(チンウェン=お伺いしますが)」
「どうぞ」
と、日本語が返ってきた。そりゃ、筆者の中国語は怪しいさ。「中国語の基礎ができていない」と言われかねないほど発音が悪いが、たった2文字「請問」と言っただけで日本人とバレてしまったのだからショックである。どうも日本語のわかる中国人には、「これは日本人の話す中国語だ」ということがすぐわかるらしい。
「王府井はどう行けばいいのでしょう」
「このあたりで長安街には出られませんので、あちらの方向にしばらく行って崇文門大街へ出てください」
 やっぱりすぐに北側へ行く道はない。もう限界、早く大きな通りへ出てタクシーをつかまえよう。フラフラになりながら、崇文門大街へ出る。警官の数は多いが、もうすっかり普段の北京の交通量に戻っている。いや、普段よりタクシーの空車がつかまらない。ワシはもう倒れるぞ……もう一歩も歩きたくない。せっかく日本語の達者な婦警さんと出会ったのだから、世間話でもすればよかったのだが、そういう気にさえならず、もう一刻も早くホテルのベッドに倒れ込みたかった。やっとタクシーをひろってホテルに着いた。

土産を買いに書店へ
 さて、翌日である。
 あの公園へ、デイパックを回収に行かねばならない。町は依然警官が目立つとはいえ、完全に普段の北京の休日である。賑やかな王府井大街の歩行者天国を通り抜け、地下鉄に乗って一昨夜の公園へ。デイパック、あってくれ――。
 あった! 明るくなってから見れば、自分が思っていた以上にしっかり植え込みに隠れていた。が、そこはスプリンクラーで散水されている。人もちらほらおり、近くの道路には警官の姿も見える。ここでスプリンクラーの水を浴びるのもかまわず、植え込みから何かを取り出すというのは怪しすぎるであろう。しばしそこを離れ、やや時をおいて再び公園へ行き、タイミングをみはからって無事に回収した。ポンチョで包んでいたのが幸いして、中身はさほどひどく濡れてはいなかった。
 よかった。撮影の目的は十分に達することはできなかったが、ともかく作戦終了だ。あとは土産を買って日本へ帰るだけだ。
 王府井書店へ行く。中国の書店は、軍事図書の充実ぶりが凄いのだ。なにしろ、バス停や地下鉄脇の新聞スタンドに、週刊誌感覚で何種類もの軍事雑誌が売られている国だ。大きな本屋へ行けば凄い本がたくさん並んでいる。ここにちょっと一例を紹介しよう。
「魚雷ホーミング技術」、「対魚雷技術」、「近接信管原理」、「弾道ミサイルの機体と制御入門」、「現代戦車火砲システム」、「軍用火工品設計技術」、「多連装ロケットシステムとその効能」、「対空ミサイルのネットワークシステムその効能と評価」。
 こんな調子の本がずらーっと並んでいる。日本有数の大きな書店のミリタリーコーナーでも、軍事技術図書がこうも充実してはいまい。そもそも日本ではこの種のものはほとんど出版されることがない。そして中国では、このようなレベルの高い本がまた安いのだ。「現代ミサイルの構造設計」B5版/627ページ/70元。こんな本、日本で出版されたとしたら1万円はするのではないか? 70元はラーメン7杯の値段だ。
 もし日本の軍事マニアが、中国語の技術図書の内容が理解できるならば、あまりにもレベルの高い本の、あまりの安さに呆然自失するのではないか?
 こうした本がたくさん並んでいることだけでも凄いことだが、ここで筆者はさらに驚くべきものを見たのである。航空工学の本が並んでいるコーナーを見ていると、大学生らしいポニーテールの女の子がやってきて本を選びはじめた。「飛行機好きの女の子か」と思って見ていたら、「飛行機好き」などという生易しいものではない。選んでいる本のレベルの高さが半端ではないのだ。
「この子はいったい何者なんだ?」
 驚き、そして次には嬉しくなってきた。筆者は歳をとったせいか、頑張っている若い人を見ると、孫が頑張っているのを見るような気がして嬉しくなってしまうのだ。明日は日本へ帰るのだが、その前の日の午後、この子とちょっとお茶でも飲んで話ができないだろうか、本の1冊や2冊買ってあげてもいいぞ。もちろん、この子と航空工学の話を中国語でするような語学力はない、が、話してみたい。そしてこの子が「航空機構造設計理論」などという本をかかえてニッコリしている写真でも撮れないか?
「シャオチェ、ニーシー、ターシュエションマ?」
「なんだ、このオジンは?」という感じで見事に無視された。当たり前だ。でも悲しい。
 しかし、このような子が成長した結果、日本の航空技術が中国に追い越され、かつて日本の零戦の性能にアメリカが愕然としたように、中国の戦闘機の性能に日本人が愕然とする日が来たとしたら、悲しいどころではない。

(文=かのよしのり)