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制作こぼれ話

中部ヨーロッパの戦跡・史跡めぐり(歴史群像142号)

スロヴァキアから国境を越えてハンガリーに入ったところにある、両替やヴィニエットの登録を行う店。ハンガリーの通貨はフォリント。

ポーランドのオシュフィエンチムにあるアウシュヴィッツ強制収容所跡。第二次大戦期にドイツが行ったユダヤ人大量虐殺を象徴する施設。

ポーランドのチェシンで食べた、ピエロギというぎょうざに似た料理。レンタカーなのでお酒は飲めないが、各地の郷土料理も旅の愉しみ。

バンスカー・ビストリツァに展示されている、チェコ製のLT38軽戦車。博物館内には、車体だけの展示もあるが、装甲板は外見よりも薄い。

ドナウ河畔の山の上にある、ヴィシェグラードの古城。河岸にたたずみ、ヤギエヴォ朝やオーストリア=ハンガリー帝国の時代に想いをはせる。

ブダペストのセーチェニ鎖橋。道路は片側一車線で狭いので、車で走って渡ると少し緊張する。夜になるとライトアップされて、とても綺麗。

ハンガリーのセーケシュフェヘルヴァール。1945年の「春の目覚め作戦」では、ドイツ第6SS装甲軍の重戦車がこの街を通過して退却した。

ハンガリー西部のショプロンという町のそばにある「汎ヨーロッパ・ピクニック計画」記念公園。当時の国境のフェンスが、一部残されている。

レンタカーで効率的に戦跡・史跡をまわる

 カラーページの記事「ハイドリヒ暗殺事件の現場を歩く」の現地取材は、昨年(2016年)10月にチェコのプラハとリディツェで行いました。この旅行は、他の本の取材も兼ねたもので、3年前(2014年)に行った「西部戦線の戦跡取材」に続き、今回もレンタカーを最大限に活用して、中欧5か国(チェコ、ポーランド、スロヴァキア、ハンガリー、オーストリア)の戦跡や史跡を短期間で効率的に回ることができました。
 カーナビ付きレンタカーでの取材旅行の魅力については、第129号の「制作こぼれ話」で詳しく紹介しましたが、今回訪れた5か国も、西欧諸国と同様、シェンゲン協定(域内での移動に際し、入出国検査なしで国境を越えることを許可する協定で、現在EUを中心にヨーロッパの25か国が加盟)の域内なので、越境時に煩雑な手続きを経ることなく、事実上「素通り」で国境を越えることができます。
 第1次と第2次の世界大戦で、ヨーロッパ各国が敵と味方に分かれて激しい戦争を行った事実や、第2次大戦後のヨーロッパが「鉄のカーテン」によって東西に分断された事実を考えると、銃弾や砲弾の飛来を心配することもなく、ヨーロッパ各国をノーチェックで自由に移動できるこの協定は、いい時代に生まれたという感慨に浸れる制度です。
 ただし、高速道路料金の前払いシステムは、国ごとに異なっているので、国境を越えて新しい国に入ると、まず付近の売店に行き、「ヴィニエット」という登録の手続きをする必要があります。オーストリアの場合、指定の料金を払うと車検証のようなステッカーをもらえ、それを車のフロントガラスの片隅に貼ります。ハンガリーでは、レシートがもらえるだけですが、車のナンバーが登録されるので、心配は無用です。

かつてのオーストリア=ハンガリー帝国領

 今回のレンタカー旅行は、プラハ市内での滞在を終えたあと、いったんプラハの空港に戻ってそこから出発し、まず郊外のリディツェに向かい、チェコ東部のブルノ、チェコとポーランドの国境にある町チェシン(町の真ん中を流れる小川が国境)を経て、ポーランド南部のヴィエリチカに移動したところで1日目が終了しました。2日目は、ポーランド南部のアウシュヴィッツ(オシュフィエンチム)およびビルケナウ強制収容所跡とクラクフ市内を見学。3日目は、スロヴァキアを南北に横断してハンガリーに移動しましたが、途中のバンスカー・ビストリツァで、ある戦史博物館に立ち寄りました。
 この町は、第2次大戦末期にスロヴァキア人がナチスの占領軍に対して蜂起した場所(第139号「チェコスロヴァキアの第二次大戦」のp.148で「スロヴァキア領内で発生した反ドイツの蜂起」として少しだけ触れています)で、市内には「スロヴァキア民衆蜂起博物館」という戦史博物館があります。館内の展示も充実していますが、横の敷地にはチェコ製のLT38(ドイツ軍の制式名は「38(t)」)軽戦車や、ドイツ軍のⅢ号突撃砲、Ⅳ号中戦車、ソ連軍のT34/85中戦車、各種の火砲なども展示してあります。
 ハンガリー領に入ったあと、ブダペストへ向かう前に、ドナウ河畔のヴィシェグラード(ヴィシェフラド、山の上にある「高い城」が地名の由来)という小さい町を、川の対岸から眺めました。ここは、14世紀に中欧一帯を統べたヤギエヴォ朝の各国王(ハンガリー王カーロイ1世、ポーランド王カジミェシュ3世、ボヘミア王ヨハン)が会議を開いた場所ですが、冷戦終結後の1991年にハンガリー、ポーランド、チェコ(ボヘミアの後身)各国政府がここで、地域協力機構の設立に向けた会議を開催し、のちにスロヴァキアも参加する「ヴィシェグラード・グループ(V4)」と呼ばれる機構が設立されました。
 この経緯が示す通り、今回レンタカーで回ったエリアは、かつてのヤギエヴォ朝の勢力範囲内で、第1次大戦以前には同じオーストリア=ハンガリー帝国領でもありました。それぞれの国で言葉や文化は違いますが、車で走っていると、その変化はグラデーションのように緩やかで、長いスパンで見れば同じ文化圏に属していると実感できました。こうした経験も、レンタカー旅行ならではの魅力と言えるかもしれません。

自由を強く実感できるレンタカー旅行

 ハンガリーのブダペストとセーケシュフェヘルヴァールは、共に第2次大戦末期、独ソ両軍による激戦の舞台となった場所(本誌第115号「ブダペスト包囲戦」と第118号「春の目覚め作戦」を参照)ですが、王宮の丘にある古い建物には、今でも当時の弾痕がいくつも残っていました。ドナウ川に架かるセーチェニ鎖橋も、ブダペスト攻防戦で橋梁部分が破壊されましたが、戦後に再建され、市内の重要な観光スポットになっています。歩道を歩いて渡るだけでなく、橋の車道部分を走って渡れるのも、レンタカー旅行の特権です。
 このあと、バラトン湖畔、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァ、オーストリアの首都ウィーン、チェコの古都チェスキー・クルムロフなども回りましたが、これらの予定コースに加えて、駐車違反の罰金(ブダペストでうっかり違法駐車をしてしまった)を郵便局で払うためにオーストリアからハンガリーに戻る途中で、1989年のベルリンの壁崩壊に先立って発生した「汎ヨーロッパ・ピクニック計画」事件(ハンガリーとオーストリアの国境の金網が一時取り除かれ、東ドイツ市民が西側に脱出)の現場(今は国境に面した記念公園になっている)にも立ち寄ることができました。
 そんなこんなで、6日間で2365kmを走破したロングドライブでしたが、歴史好きには大満足の充実した旅行でした。前記した駐車違反の件を含め、いろいろとハプニングもありましたが、かつて自由が制限されていた国々を、今はレンタカーで自由に見て回れる。そんな平和な時代が、これからもずっと続くことを願ってやみません。

(文/山崎雅弘)