制作こぼれ話

レキオ群像(歴史群像108号)

18年ぶりの沖縄特集!

沖縄のグスクを代表する今帰仁グスク。現存するグスク群のなかでも規模が大きく、見ごたえ十分。ただし、那覇を中心とした南部地域から離れた北部に位置しているため、実際に行かれる場合は余裕をもった計画作りが望ましい。沖縄の公共交通機関はバス中心のため、レンタカーがオススメ。近くにはマンタで人気の『沖縄美ら海水族館』もある。


まるでスコットランドかどこかの古い城か、近代の要塞を思わせる座喜味グスク。

今帰仁グスクから海を望む。いかにも南の海っぽい風景。天気に恵まれなかった今回の取材では、ある意味「奇跡の一枚」。

 やってきました、歴群編集部、沖縄へ! 実は今号は「戦国の城 琉球グスク群」、「島津軍 琉球侵攻」、「シュガーローフ・ヒルの戦い」、「インタビュー 甲標的搭乗員」、「戦場のミステリー 沖縄の怪談」と、沖縄関連記事満載となっております。これだけ沖縄記事が集中するのは本誌創刊期にあたる1993年以来約18年振りのこと。「どうせ沖縄に行くなら、たくさん取材させてやる」との有り難い編集長命令を頂戴し、2泊3日の強行取材になったという事情はさておき、1993年頃といえば「本土復帰」から20年過ぎた頃で、沖縄の歴史や文化に注目が集まり、大河ドラマで『琉球の風』(間寛平が倭寇役をやっていた)、漫画『花の慶次』では原作にない琉球編が掲載されるなど、沖縄ブームになっていた頃です。
 さて、小生たち取材班が沖縄に行ったのは5月の中旬。那覇空港を降り立ち、「いざ南国の楽園へ!」なんて気分でいたところ、半袖短パン姿に冷たく突き刺さる琉球の風。実は5月の沖縄地方は本土より早い梅雨の真っ只中で、はっきり言って「寒い」の一言。ぐずつく天気のまま、雨も降り出してグスク調査は翌日に。初日は公文書館などで資・史料調査に専念することになったのでした。
 2日目、グスク取材当日は昨日までの雨が嘘のような好天に恵まれ、いかにも南国っぽい風景を写真に収め、取材は無事終了。本土の山城のほとんどは遺構が残るのみで、土塁や堀・曲輪跡などから往時の姿を偲ぶしかありませんが、琉球のグスクの多くは石垣造りで、またその石も石灰質のため、ひとつひとつが小さく、本土の城の石垣と比べても全く受ける印象が違っており、異国情緒が漂います。また「琉球王国のグスク群」として世界遺産に指定されたこともあって、修復作業も進んでおり、数年後にはまた違った姿を見せてくれるかもしれません。
 取材最終日は、沖縄戦屈指の激戦地・シュガーローフ周辺の撮影。朝方降っていた雨はなんとか止んで晴れたものの、南国特有の日差しと雨上がりの猛烈な湿気による熱波に襲われ、汗ダラダラの過酷な取材に。この湿気と暑さは沖縄戦でも日米両軍兵士たちを苦しめていたはずで、その場所の「空気」というものは、写真や映像だけではうかがい知れないということが実感できます。
 現在、シュガーローフ・ヒルは頂上の貯水タンクが目印となっておりますが、近年この地域は「那覇新都心」として大型ショッピング・センターや高層ビルの開発が進むなど、めまぐるしく地形や景観が変化しており、将来、丘自体が姿を消すかもしれません。現在の沖縄の発展を象徴する地域とはいえ、戦争の記憶を風化させるようなことがないようにしたいものです。

※「レキオ」とは歴男・歴夫のことではなく、スペイン・ポルトガル語で琉球のこと。

勝連グスクの遠景。国王に最後まで抵抗した有力な按司・阿麻和利(あまわり)の居城で、四方に展望のきく比較的傾斜の急な孤立丘を取り込んで築かれている。琉球王国の歌集である「おもろそうし」の中でも「きむたかの阿麻和利」と称され、勝連は京都や鎌倉にたとえられるほど繁栄が謳われた。ちなみに「きむたか」とは古代進を演じたアノ人のことではなく、漢字で書くと「肝高」で、「気高い、品位ある」の意味とのこと。

島津軍上陸地点のひとつ、渡具知ビーチ。奇しくも沖縄戦での米軍が上陸地点に選んだのもこの浜辺だった。現在は美しい海岸として整備されているが、近くには嘉手納飛行場があり、取材当日は米軍のヘリコプターが上空を何度も旋回して、飛行訓練を行っていた。沖縄の歴史と厳しい現実を物語る場所である。

幕末にペリーも訪れた中グスクの正門付近。南国特有の植生と、石灰岩による石垣のコントラストが異国情緒を醸し出す。

古宇利大橋より運天を望む。奧でフェリーが停泊しているのが現在の運天港。手前が旧・運天港で、島津軍の上陸地点や甲標的の基地になったのはこちら。古宇利大橋は眼下に綺麗な青い海と珊瑚礁を望めるということで、観光客に人気のドライブコースとなっており、徒歩で渡ることも可能。

(文=西表山猫の小平太)

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