制作こぼれ話

平和の空と、零戦と(歴史群像144号)

エンジン始動のため格納庫から引き出された零戦二二型。その時を待っていたかのように曇間から青空が見え始めた。

格納庫内の零戦二二型。翼端を折り畳んでいる。空母の格納内と飛行甲板に上がるエレベーターの上ではこの状態。

手脚の格納部。タイヤが引き込まれると同時にカバーを閉じるための機構が組み込まれている。

主翼の上に乗ってコクピット内を撮影。座席の前(写真だと座席の左)の底面から無造作といっていいほどシンプルに“生えている”という感じの操縦桿が印象的だった。

手動式の翼端折り畳み機構。分割部分の主翼側から固定金具を引き出して翼端を伸ばし、その後固定金具を押し戻せば強固に固定される。

タキシングを終えて、エンジン停止前に回転を上げたところ。うしろに軽飛行機が見えるが、零戦の空冷複列14気筒エンジンが放つ鼓動は、やはり軽飛行機のそれとは別格の力強さがあった。

製造図面をもとに作成されたコクピット部材。プロジェクトに賛同する協力者が提供してくれたものだという。

 レストアされ、里帰りした零式艦上戦闘機二二型が東京湾上空を飛行するという、歴史的な出来事から二日後の6月6日。『歴史群像』編集部のスタッフは、零戦が翼を休める茨城県竜ケ崎飛行場を訪問した。
「歴群フォーラム」掲載の記事として、零戦のエンジン始動とタキシングの様子、そして「零戦里帰りプロジェクト」関係者への取材を行なうためである。
 零戦が里帰りするのは初めてではない。以前にも、アメリカから一時帰国した零戦五二型のエンジン始動とタキシングを本誌および本サイトで紹介したが、“米国籍”の零戦の来日ではなく、日本の航空当局にきちんと民間機として登録され、飛行許可も下りている“日本国籍”の零戦の帰国であることに、胸が熱くなるのを感じながらの取材となった。
 日本国籍になったといっても、完全に国産のオリジナル部品だけで組み上げられているわけではない。エンジンはプラット&ホイットニーだし、飛行可能の証として、本来は飛行関係の計器が配置される操縦席正面の主計器盤に現用の航空無線器が設置されている。だが、そのボディは本物の零戦なのだ。
 ご厚意により主翼の上に乗ってコクピット内を覗く機会もいただいた。脚立を上り、踏んではいけない主翼のフラップ収納部を避け、引き出された足掛けを使って主翼の上に立つと、パイロットの搭乗時の目線が味わえた。これは貴重な体験だった。
 主たる構造材が軽合金であることを知っている身(多少“太めの身”でもある)としては、たわんだりする部分があるかなと恐る恐るの感じだったが、杞憂だった。しっかりした剛性感。激しい空中機動をする航空機なんだから当然じゃないか、と言われればそれまでだが、印象や思い込みというのは恐ろしいものだ。そして、それを払拭してくれる本物の存在のありがたさを改めて感じた。
 そしてエンジン始動とタキシング。戦闘機の心臓に火が灯り、激しい鼓動とともに三翅プロペラが空気を切り混ぜ、後方に押す。結構近くで見ていたので、風圧を直に感じることができた。プロペラが生み出した推力で、機体はゆっくりと走り出した。心臓が舶来であろうと、もはや関係なかった。爆音が、些末な事実など打ち消してしまった。
 代表取締役社長の唐木芳典氏を始めとする「零戦里帰りプロジェクト」関係者にそれとなく水を向けてみた。「次は、栄エンジンで飛ぶところを見たいですね」――いろいろ難しいことは承知の上である。それでも「できるなら、次の夢として目指したい」という言葉が聞けたことは、取材という立場を超え、航空機ファンとして嬉しかった。
 本プロジェクトは、零戦を飛ばして終わりではない。飛行可能な状態で維持するだけでも、ざっと年間3000万円以上のコストがかかるという。クラウド・ファンデイングを始めとして、様々な方法での資金協力を求めてきたが、それは現在進行形である(詳細は「零戦里帰りプロジェクト」オフィシャル・サイトを参照)。
 取材当日は曇り空だったが、飛行場に着くと雲が切れ始め、エンジン始動時には晴れ間さえ見えていた。零戦には、やはり青空が似合う。他の取材陣の口からも「綺麗な飛行機なんだな」と感想が漏れていた。戦いの空を飛ぶ宿命のもとに生まれた零戦だが、それが平和の空をバックに羽ばたく。この優美な航空機に似合う平和な空が、永遠に続いてほしいと願いつつ、取材チームは竜ヶ崎飛行場を後にした。

(文/熊右衛門尉)

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