制作こぼれ話

本創りの原点!?(歴史群像94号)

さよなら「ムーミン」……

横川駅にて。ここには、鉄道ファンにとってのテーマパーク「鉄道文化むら」がある。

沿線で撮影中の鉄道ファン。最終日はどの撮影ポイントも大混雑だったらしい。

第2エンドの銘板。なお当日の編成は以下のとおり。
EF55-1(本務機)+スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12+DD51-897(補助機)

 本年、3月14日のJRダイヤ改正で、東京と九州間を結ぶ最後のブルートレイン『はやぶさ・富士』が惜しまれつつ廃止されたことは大きなニュースとなったが、1月18日にも、鉄道ファンにとって、やはり惜しまれつつ引退した電気機関車が存在した。それが昭和11年(1936)生まれ(九六艦戦や陸攻と同じだ!!)のオールドタイマーで、各種イベント列車を牽引してきたEF55の1号機である。
 この引退記念ランに、“戦車男”もしくは、日向水ていどにヌルイ鉄道ファンの私が乗れることになっちゃったのである(鉄道ムック編集長Hの羨望の眼差しが忘れられない)。
 EF55機関車は、EF53機関車の生産資材を用いて製造された旅客用機関車で、当時流行だった“流線型”を取り入れたデザインである。その特徴的な外見から人気が高く、チャップリンの靴から「ドタ靴」、「カバ」、さらに現在は「ムーミン」の愛称がある。また、前後の形状が違うので蒸気機関車のように方向転換が必要なことや、95km/h程度の最高速度では流線型の効果がさして出ないことから、生産数わずか3両という貴重な電気機関車でもある。
 EF55-1は、製造から昭和27年まで沼津機関区に配属されて、特急『つばめ』『富士』等を牽引していたが、戦争中には機銃掃射をうけている(その際の弾痕が今も残る)。27年以後は高崎第2機関区に所属、昭和39年に廃車となるが、その人気の高さから昭和61年に異例の現役復帰となって、各種イベント列車の牽引に活躍した(ちなみに2号機は解体、3号機は試作電気機関車用に機器を流用された)。
 さて、私が乗ったのは、1月11日の10:36高崎発─11:18横川着、快速『EF55碓氷』(第9135列車)で、客車は12系、補助機はDD51ディーゼル機関車の897号機。先頭車両に乗ったので、貫通ドアの窓から第2エンドの銘板がばっちり撮影できました。
 実はワタクシ、こうしたイベント列車に乗ったのは初めてで(鉄道はオペレーションが好きなんです=参謀本部鉄道課勤務志望)、申し訳ないが気が利いたことは書けないのだが、線路脇のカメラの放列や横川駅で列車に群がる鉄道ファンを見て、一つ気がついたことがある。それは自衛隊の駐屯地祭等に集まるミリタリーマニアと同じ雰囲気を持つことである(同乗者いわく、昔行ったコミケみたいだって…)。そう、ファンやマニアって対象物は違えどもメンタリティーは同じなんだよね。そして私もその一人だということ、そして自分の本創りの原点は、こうしたファンのためにあるのだということ。
 今回の引退記念列車に乗れたことをご褒美に、仕事がんばろ!

(by次郎太郎)

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