ガスマスク大研究 (歴史群像104号)
マイナーながら強烈な存在感
ガスマスクを並べて撮影の準備。マネキンを使用した撮影もサイズを調節して被せるため以外と手間がかかります。全部を撮り終えたのは開始から5時間後。そして撮影したマスクの中から、機能に特徴ある物を選び、誌面で紹介しています。
誌面で紹介したM17A1フィールド・プロティクティブ・マスクは頭部を防護するフードを付けた状態だったので、マスクの形状が分かる写真を紹介します。左右の「頬」部分にフィルターを内蔵しているので「おたふく」みたいなデザインが特徴的なマスクです。このマスクを参考に日本では「防護マスク3型」として自衛隊が採用し、80年代に使用していました。
以前から日本で化学戦が紹介される場合、兵器の解説とその効果、化学戦の戦術や戦略という内容が主流であり、毒ガスを防ぐガスマスクがメインに紹介されることは滅多にありませんでした。これは戦史だけでなく、ミリタリー・コレクションの世界でもガスマスクがマイナーな存在だからでしょう。
しかし、映画やアニメにたびたび登場し、その非日常的なデザインの外見が印象に残るためなのか、本来の使用目的を知らなくても、意外とその存在を一般に知られているという一面も持っています。そんなガスマスクにスポットを当てたのが今回の企画です。
本来、軍の個人用化学防護装備はガスマスクのほかにも防護服など様々な種類があるのですが、今回は誌面スペースの関係もあって、ガスマスクに焦点を絞り、ほかのアイテムはバッサリとカットしました。
撮影当日に用意されたガスマスクは軍用、民間用を合わせて33個。一番古いものは第一次大戦時のドイツ軍M17ガスマスク、最新型はアメリカ軍のM50プロティクティブ・マスクです。マネキンに被せて撮影するほか、一部は実際に装着した状態で撮影しようとの編集長の提案もあって、編集長、担当編集、筆者の3名が挑むことになりました……(その雄姿は誌面を参照して下さい)。
異様なデザインの影には様々な機能を備えた発達の歴史があったガスマスク。一家に一個備えてみてはいかがでしょうか? 機会があれば今後も化学戦や装備の歴史をたどっていきたいと思います。
M17A1はマスクを被ったまま水を飲めるチューブが標準装備された初めてのガスマスクです。以後、各国もこのシステムを採り入れており、90年代以降に作られた軍用ガスマスクは水のみチューブが標準装備になっています。写真右はM17A1のマイナーチェンジ・モデルM17A2マスクの内側で、クランク状のチューブが水を飲むための吸い口です。
現在、アメリカ軍は飲料水を水筒より多く携帯できるハイドレーション・バックというものを使用しています。このハイドレーション・バックとガスマスクのチューブを連結するための専用アダプターも用意されています。
(文=ケミカル・ジミー)
特別レポート U-30硫黄島訪島記
今なお残る戦争の爪痕
「内地に少しでも近い場所に」という思いから建立された「天山慰霊碑」で行われた慰霊祭の様子。
早朝、航空自衛隊入間基地からC-1中型輸送機で硫黄島に向かいました。実は今回初めて自衛隊機に乗ったので、振動と騒音に驚きました。
到着後、マイクロバスで慰霊祭が行われる「天山慰霊碑」に向いました。到着して間もなく、快晴だった空から雨が……。遠くの空には青空が望まれていましたが、この場所だけ雨が降っているようでした。英霊の涙、「涙雨」だと教えてもらいました。広報班の係員によると、戦没者は遺骨から200メートル以上離れることができないのだそうです。
今回、見学できた場所は、栗林中将が司令部を置いた「兵団司令部壕」、「海軍医務科壕」、摺鉢山の中腹にある「水平砲台」の十四糎水平砲、摺鉢山の山頂の4ヶ所を見学することができました。予定していた「硫黄ヶ丘」と「上陸海岸」には、時間の関係上回ることができなかったのが本当に残念でなりません。
硫黄島訪島事業に参加して思ったことは、自分で戦跡を歩くことの大切さを体験できたことです。これからはできる限り多くの戦跡にも足を運びたいと思います。
硫黄島に勤務している自衛隊員は、今でも雨水で生活しているって知っていました? (もちろん、ろ過装置を使用しているそうですが)
■最新ニュース
10月22日、政府特命遺骨収集チームは首相官邸で会合を開き、島内2ヶ所で51名の遺骨を発見したことを報告した。「敵の墓地」と記された米国側資料に基づいて調査が行われ、島中心部と南部には約2200名が埋葬されている可能性が高いという。
この模様は、「VISUAL GALLERY」内の『PHOTO GALLERY』にて公開中です。
海上自衛隊硫黄島航空基地
http://www.mod.go.jp/msdf/atsugi/butai/iwojima.html
(文=ベッキー)