マーケット・ガーデン作戦の戦跡めぐり(歴史群像129号)
カーナビ付きレンタカーは最強の相棒
アイントホーフェンの駅前広場は、連合軍によって解放された日付をとって「9月18日広場」と名付けられている。
自転車大国オランダのアイントホーフェンの駅前には、路上駐車の自転車が溢れている。日本の駅前と変わらない光景。
ナイメーヘンの市街は激戦で多くの被害を被ったが、古い建物もあちこちに残っており、観光地としても楽しめる。
オランダ名物、スナックの自動販売機。揚げたてコロッケやハンバーガーなどが保温機に入っていて、小銭を入れると扉が開く。疲れたらこれで一休み。
アルンヘムのジョン・フロスト橋の北端に隣接する、歩行者や自転車が橋に上がるための階段。ネーダーライン川は貨物船が頻繁に行き来するので、道路橋は高い位置にある。
ジョン・フロスト橋に上がる階段を、下から見上げたところ。第二次大戦当時から残る建造物で、真ん中の溝は自転車のタイヤを入れて押し上げるためのガイド。
アルンヘム北西にある戦没軍人墓地。最初の石碑には「1939年から1945年の戦争で死んだ兵士」の文字が刻まれている。
アルンヘムで泊まったボートハウス(水上ホテル)。防波堤の向こう側が、ネーダーライン川の本流で、辺りはとても静か。
第二次世界大戦の欧州西部戦線における、重要な出来事のひとつであった「マーケット・ガーデン」作戦は、オランダ南部の田園地帯で繰り広げられた激戦でした。作戦の目標となった5つの主要橋のうち、戦争当時から残っているのはナイメーヘンとフラーフェの2つだけで、残る3つは戦後に再建されたものです。アイントホーフェンからアルンヘム(アーネム)までレンタカーで走ってみれば、抵抗にさえ遭わなければ軽く1日で到達できる距離であったことを実感できます。
知らない場所へ車で行くためには、ひと昔なら現地の地図と首っ引きで道路と現在位置を確かめる必要があり、主要な街道から外れると、本当にこの道で合っているのか、という不安に襲われながら運転しなくてはなりませんでした。しかし現代の車には、GPSで位置確認を行うカーナビという素晴らしい「文明の利器」があるため、海外での古戦場めぐりもずっと楽になりました。
カーナビに目的地を入力しておけば、そこまでの最短距離を教えてくれますし、道から外れてもすぐにリカバーできます。また、空挺部隊が降下した平原など、特に「地名」が無い場所でも、戦況図と比較しながらカーナビのモニター上で指定すれば、まったく迷わずにピンポイントで「その地点」へと導かれます。移動中も停車中も、常に「現在位置」を把握できる「カーナビ付きレンタカー」は、戦史的興味から古戦場を探訪する旅行者にとっての「最強の相棒」だと言えます。
自分で車を運転しながら
「遠すぎた橋」を渡る
「マーケット・ガーデン」作戦の場合、戦車を先頭とする自動車化部隊の進撃が重要な鍵を握っていたこともあり、映画『遠すぎた橋』のシーンを思い出しながら、フラーフェ橋やナイメーヘン橋、そしてアルンヘムのジョン・フロスト橋を車で渡る時の感慨は格別です。特にフロスト橋は、北向き2車線、南向き1車線ですが、これより大きな道路橋(ネルソン・マンデラ橋)が西に造られたこともあり、交通量はさほど多くないので、橋の北側にある「空挺広場」の周囲のラウンドアバウト(円形交差点)を使ってターンすれば、好きなだけ「往復」することができます。
また、アルンヘムの橋は記事にも書いた通り、「鉄橋」の部分は作戦終了後に一度破壊されましたが、橋の土台と、河岸道路から橋へと登る階段の構造物は、「マーケット・ガーデン」作戦当時のものがそのまま今でも使われており、よく見ると階段のあちこちに銃弾の弾痕や、それを塞いだ痕跡があります。「フロスト中佐たちもここを駆け上ったのか」と想いをめぐらせながら階段を昇ると、当時の英軍空挺部隊に対する思い入れが一層深くなるかもしれません。
アルンヘムから西のオーステルベークに通じる道路を、周囲の景色を見ながら車で走れば、市街から「ハルテンスタイン・ホテル」や英第1空挺師団の降下地点までの距離感を掴むことができます。降下地点の辺りの地形も、ほとんど当時のまま変わっていないので、路肩に車を停めて青空を見上げながら、視界を埋め尽くすほどのパラシュート群を想像してみるのも一興です。
アルンヘムの北西には、英第1空挺師団とポーランド第1空挺旅団、作戦を空から支援した空軍兵士、そして連合軍とともに戦ったオランダ人レジスタンスの戦没者墓地があります。アルンヘム市民にとって、「マーケット・ガーデン」作戦の実質的失敗は、新たな苦難の始まりを意味していましたが、オランダ解放のために戦った連合軍の兵士は、今でもオランダ国内では英雄として遇されています。
フロントガラスの向こうに見えてくるもの
今回の記事で紹介した、「マーケット・ガーデン」作戦の戦跡に関する取材旅行は、第126号の巻頭に掲載された「激戦地ディエップの現在」と同じく、2014年4月に16日間かけてレンタカーで行った「欧州ドライブ旅行」の一部でした。ドイツのデュッセルドルフ国際空港を出発し、ベルギーのエベン・エマエル要塞やアントワープ、フランスのダンケルク、カレー、アラス、アブヴィル、そしてノルマンディー海岸一帯の古戦場などを歴訪したあと、最後はパリのシャルル・ド・ゴール空港で車を返却しました。
総走行距離は約3400kmに達しましたが、オランダやベルギー、フランスの田舎を車で走っていると、飛行機や鉄道で移動したのではわからない「現地の文化」をいろいろと知ることができました。例えば、フランスのほとんど全ての町には、第一次世界大戦で戦死した「その町の出身者」の記念碑が建てられており、フランス人にとって第一次大戦がどれほどショックの大きな出来事だったのかを改めて実感しました。
今回の行程は第二次大戦の戦跡めぐりが主でしたが、第一次大戦やナポレオン戦争(ナポレオニック・ウォー)などテーマを決めて、カーナビ付きレンタカーで関連の場所を旅行すると、本の中でしか知らなかった「戦場の情景」に新たな認識が加わると思います。日本と欧州では、道路の走行レーンが逆になりますが、路上で注意すべき点はほとんど同じなので、歴史好きでドライブ好きの方は、チャレンジしてみられてはいかがでしょうか。
(文=山崎雅弘)