三鷹市 吉祥寺 |
東京都の23区地域と隣接する多摩地域は、住宅や商業地区と自然環境が調和する緑豊かな土地柄で知られています。今回はその中で三鷹市から武蔵野市に広がる地域を紹介します。銅像の題材となった「ゾウのはな子」飼育されていた井の頭恩賜公園は武蔵野市から三鷹市にまたがる広大な土地を有し、その中心部にある井の頭池は都内を流れる神田川の流出地です。三鷹市は、かつては農村地帯として発展しましたが、1930~45年頃は軍需工場が建設されるなど、様相が大きく変化。しかし、水と森林豊かな地勢が大きく失われることなく、自然環境豊かな武蔵野の面影を今に伝える地域です。
また、井の頭公園一帯は若者に人気の街である吉祥寺とも隣接するなど、古来からの武蔵野の面影と新文化の集まる街としての二つの顔が融和する地域ともいえます。吉祥寺は、古くは同地にあった大学の名でしたが、現在は広域地名となっていて、どの範囲までを吉祥寺と呼ぶかで諸説あります。23区の中心地域とは趣の異なる自然環境の豊かさ、住環境の充実など、魅力的な街づくりが行われています。
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● アジアゾウのはな子
(1947?~2016)
■建立:2017年5月5日
■製作:梶原製作所
■原型製作:笛田亜希
平成28年(2016)5月27日、東京都武蔵野市の井の頭自然文化園で飼育されていた、タイ国生まれのメスのアジアゾウが亡くなりました。彼女の名は「はな子」。
1947年生まれのはな子(タイでの名は「カチャー」)は、2歳の時に船で来日。上野恩賜動物園で飼育されることになります。はな子の来日は、タイの実業家が「戦争で傷ついた日本の子供たちの心を癒したい」と、私費を投じてゾウの贈呈の発起人となり、実現したものでした。戦後初めて日本にやってきたゾウでもあります。また、はな子の名は、太平洋戦争中の戦時猛獣処分の過程で、上野恩賜動物園で餓死したインドゾウ「花子」の名にちなんだものでした。
そして5年後の1954年、はな子は井の頭自然文化園に移ります。地元からの熱い要望を受けてのことでした。以後、亡くなるまで井の頭自然文化園がはな子の「家」となりました。人身事故で死傷者が出るなど悲しい出来事もありましたが、紆余曲折を乗り越え、地元の人々に愛されたはな子は、生国タイを遠く離れた日本の地で歳を重ねます。2013年には66歳となってアジアゾウの国内最高齢記録を樹立。しかし、晩年になるとその巨体には病が忍び寄り、最高齢記録から3年後、呼吸不全により亡くなりました。
銅像は、JR吉祥寺駅北口の北口駅前ロータリーにあります。はな子の死を惜しんだ地元の人々や武蔵野市が中心となって吉祥寺「はな子」像設置実行委員会が設立され、全国に広がった募金の輪により像の制作がすすめられました。除幕式は平成29年5月5日のこどもの日に行われ、晴天の空のもと「ゾウのはな子」と題された像のお披露目には多くの人が集まりました。像は台座付きの立像で、原型制作は地元のアーティスト、笛田亜希(ふえだあき)さんが手がけました。アジアゾウは、野生では時に人々にとっての脅威となることもある大型の猛獣ですが、「ゾウのはな子」の像の片足を前に出して長い鼻の先をもたげた姿、そしてつぶらな目の表情は、穏やかさや優しさを感じさせてくれます。なお、FRP(繊維強化プラスチック)製の原型像が、はな子の「家」であった井の頭自然文化園内にある彫刻館B館に保存、展示されています。時間があれば、こちらもご覧になってはいかがでしょうか。