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TOKYO銅像マップ

板橋区・北区

渋沢栄一(板橋区)

渋沢栄一(北区)

近藤 勇(石造)

 板橋区は、東京の北部一帯に広がる武蔵野台地の北辺に位置し、東京の中心からは北西に位置します。「板橋」の名は平安時代末期には地名として認知されていたようです。江戸時代には武蔵国豊嶋郡に属し、江戸周辺でも有数の耕作地域として知られていました。中山道の宿場町としても発展。現在は多くが市街地となりましたが、北西部に接する埼玉県にも連なる産業・工業地域も抱えています。
 そして江戸時代、現在の板橋区と同様に豊嶋郡に属していたのが北区です。板橋区の東に位置し、戦史ファンには、板橋区にもまたがる広大な陸軍関連施設(東京兵器補給廠、東京造兵廠など)地区があったことをご存知の方も多いでしょう。
 今回は、この2つの区の銅像を訪ねます。

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渋沢栄一 (板橋区 1840~1931)

建立:1925年11月15日
  現在地への移設:2013年6月
制作:小倉右一郎
 渋沢栄一は、江戸末期に武蔵国で誕生した、日本経済近代化に偉大な足跡を残した人物です({皇居~東京駅周辺」を参照してください)。
 銅像は、板橋区大山の東京都健康長寿医療センターの敷地内にあります。施設に隣接する道路からも見ることができる大きな座像です。板橋区の登録有形文化財に指定されています。
 渋沢栄一は、日本の福祉・医療の近代化促進にも尽力し、東京における福祉事業の拠点として明治5年に設立された「養育院」の初代院長に、明治23年就任。亡くなるまでの50年間、院長を務めました。
 関東大震災の際に、養育院大塚本院が被災したため、分院があった板橋に本院移転が決定。その際に銅像の建立が決まります。序幕は大正14年(1925)11月15日。戦争による金属供出のため台座から外されてコンクリート像に置きかえられたこともありましたが、戦後に銅像に戻され、平成25年(2013)に東京健康長寿医療センターが完成したのを機に、現在の場所に移築されました。
 原型製作は香川県生まれの彫刻家・小倉右一郎氏で、「子爵澁澤榮一像」と彫り込まれた花崗岩の台座の上に、フロックコートでソファーに座っています。像の高さは台座も含めて約8メートルあり、非常に見応えのある像です。
 青銅製ですが、防錆塗装を施しているため、金属の色ではなくグレーがかった色調で、艶があります。表情の描写は非常に緻密で、硬く結んだ口元や、鋭さを感じさせる目の表情など、初老の姿ながら幕末・明治から昭和までの長き時代を生きた偉人らしい威厳と気迫を感じさせる像といえるでしょう。

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渋沢栄一 (北区 1840~1931)


建立:1934年
 北区西ヶ原の飛鳥山公園内にも、渋沢栄一の立像があります。
 飛鳥山公園は、江戸時代、徳川吉宗が享保の改革の一環として造営した公園で、桜の名所として江戸庶民に親しまれました。同地に渋沢栄一が邸宅を設けたのは明治12年のことで、現在、飛鳥山公園には重要文化財に指定されている邸宅(現存の建物と庭園は公園と区分されています)のほか、存命中に長寿を祈って寄贈された洋風茶室「晩香廬(ばんこうろ)」、傘寿(80歳)と子爵昇爵の祝いに寄贈された近代建築の書庫・応接施設「青淵文庫」、そして「渋沢史料館」などがあります。
 銅像は「晩香廬」脇にあり、銘板がはめ込まれた台座付きの立像です。フロックコート姿ですが、表情は比較的多い初老のイメージとは異なり、若さを感じさせる表現になっています。またコートの裾や腰に手を当てた表現などで躍動感を感じさせます。なお、渋沢史料館の入り口横には、顔だけの石像があり、こちらの方は初老の姿を描いています。見比べてみるのも面白いかもしれません。資料館の中には胸像などもありますので、行ったらぜひこちらにも立ち寄ってみたいものです。

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近藤 勇 (石像 1834~1868)



建立:1968年10月25日
製作施工:小島良昌
 近藤勇は、江戸末期に武蔵国多摩郡(現在の東京都調布市)で農家の三男として生まれました。成長して、天然理心流剣術道場・試衛館に入門すると頭角を現し、剣の師である近藤周斎の実家の養子を経て正式に近藤の養子となります。将軍家茂の上洛警護ための「浪士組」の徴募を機会に幕臣としての立身を目指すようになり、やが新撰組を率いることになったことはあまりにも有名です。
 縁が深い京都や出身地にも銅像がありますが、今回は板橋区にある近藤勇の墓所の像を紹介します。近藤の埋葬地には諸説あり、終焉の地に近い板橋もその一つです。
 像は、JR板橋駅の南口近くの墓所の敷地内にあります。平成13年に、133回忌の記念として製作されたもので、幕臣として立身する大望を抱いていた時代を思わせる威風堂々の姿で描かれています。台座付きのコンパクトな石彫の立像で、この墓所にはほかに、新撰組の一員で墓所の建立者であった永倉新八の墓や近藤勇と土方歳三の供養塔があります。


太田道灌 橋本左内