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TOKYO銅像マップ

番外編3 所沢航空公園

木村・徳田中尉像

フォール大佐像

 番外編第3弾は、埼玉県所沢市にある所沢航空公園を訪ねます。『歴史群像』本誌記事や本サイト内の「VISUAL GALLERY」にて、アメリカから里帰りした零戦五二型関連の記事を紹介していますが、その展示を主催している「所沢航空発祥記念館」も、本公園内にあります。公園内には、前述の記念館による航空関係の展示・イベント開催のほか、航空関連の屋内展示があり、銅像も2体、石像1体が存在します。今回は、公園内の航空関連の銅像たちを紹介します。

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木村鈴四郎、徳田金一 (~1913)

1914年3月28日建立、1980年移設
 木村鈴四郎と徳田金一は、日本航空史上で最初の航空機事故の犠牲者(陸軍航空史上初の殉職者)です。最終階級は二人とも陸軍中尉でした。木村中尉は石川県出身で、陸軍砲兵科より第一期飛行術練習生として航空畑に転身。一方の徳田中尉は山口県出身で、同様に歩兵から航空畑に転身し、ともに陸軍航空の若手のホープといえる人材でした。
 事故が起きたのは大正2年(1913)3月28日で、所沢飛行場に向かってブレリオ11-2bis(フランスからの輸入機で両中尉が同乗)で飛行していたところ突然の横風に煽られて左翼を破壊(上方に向かって折れ曲がったといわれています)され、機体は垂直に墜落しました。当日は、青山練兵場で貴族院・衆議院をはじめ、陸海軍大臣や政府関係者を招いて観覧飛行が行われており、その飛行展示に成功を収めた後の、帰路のことでした。木村鈴四郎享年27歳、徳田金一享年29歳でした。
 ちなみに墜落した機種は、アンリ・ファルマン機で日本初の動力飛行を成功させた徳川好敏大尉がフランスで購入し、輸入後に所沢飛行場で組み立てられたもので、同機は日本初の同乗飛行(操縦士以外に同乗者を乗せた飛行)にも成功しているほか、所沢と川越の飛行場間往復飛行訓練(この際に日本初の不時着事故を起こしています)にも使われるなど、運用や飛行技術の訓練に多用された機種でした。
 事故後、殉職の地となった松井村大字下新井字柿木台(現在の所沢市下新井)に航空発展に尽力して犠牲になった両中尉を偲び、記念塔を建立しようとの運動が新聞社と有志により起されました。歌人・与謝野晶子も両中尉の死を悼んで15首もの追悼の歌を詠んだそうです。このように記念塔建立の動きは国民的関心事となり、一周忌にあたる大正3年3月28日に除幕式が行われました。
 記念塔は、石組みの塔の前面に飛行服姿の両中尉の立像が置かれ、その足元に碑文(プレート)、上部には陸軍航空科の徽章が配されています。飛行服は、明治末から大正期の陸軍飛行用被服の特徴をよく描写していて、歴史的事件を伝承するという意味のほかに、陸軍航空の初期の姿を物語るものとしても貴重であるといえるでしょう。なお建立後、記念塔は所沢駅前、多摩湖畔、航空自衛隊入間基地に移設され、昭和55年(1980)に現在の航空記念公園内に設置され、翌年に完成式を挙行ました。記念塔が移されたあとの墜落事故現場には、現在は「木村徳田両中尉殉職之処碑」が建立されています。

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ジャック・P・フォール
 (1869~1924)

1928年建立、1982年復元
原型:水野 朗(復元時)
 ジャック・ポール・フォール砲兵大佐は、フランスの軍人です。日本陸軍は航空機導入後、独自に運用・飛行技術の習得に努めてきましたが、第1次世界大戦の欧州戦域における急速な航空近代化を見て、各分野の最新理論や技術の習得が不可欠との結論に達しました。当時、世界屈指の航空先進国と言われていたフランスから、最新の多様な機種を購入し、同時に教育団を招聘しました。その「フランス航空教育団」の団長がフォール大佐でした。彼が率いる41名の先遣隊は大正8年(1919)1月12日に来日(海路、長崎に上陸)し、8日後には所沢航空隊を訪問しています。
 教育団は、いくつかのグループに分かれて日本各地の航空隊に派遣され、それぞれの地で発展途上の日本陸軍航空を担う若い人材の教育に尽力しました。欧州の激烈な航空戦を経験したフランス軍人たちの指導は、同年9月中旬まで行われましたが、その影響は単に飛行技術や運用法の習得の向上だけに留まらず、組織化や航空機開発まで多岐にわたり、近代化に大きな貢献をしました。ちなみに、伝習には海軍航空関係者も参加しており、先進技術の習得の必要性を感じた日本海軍は、艦船による航空機運用の発展も考慮に入れ、その分野の先進国であったイギリスからセンピル教育団を招聘しています。
 銅像は、来日当時の姿を模した胸像です。無帽ですが、カラー(襟)の高いフランス軍独特の制服に身を包んだ姿は、老齢ながら凛として威厳を感じさせるものです。フランス軍人の像自体も珍しく、希少性も含めて見応えのある像といえるでしょう。
 フォール大佐(帰国後に少将に昇進と、砲兵旅団長在職中の1924年に死去)の業績を讃えるため、所沢陸軍飛行学校が彫刻家・水野朗氏製作により校内に胸像を建立したのは、大佐没後の昭和3年(1928)のことでした。残念ながら、このオリジナルの胸像は太平洋戦争中の金属供出で台座を残して失われましたが、戦後、航空関係者を中心とした多くの有志の尽力により再建が決定し、昭和57年(1982)に水野朗氏製作の原型をベースに再製作されました。


フォール大佐像 木村、徳田中尉像