荻窪~東高円寺 |
今回は杉並区の荻窪、東高円寺を巡ります。杉並区は、江戸時代に青梅街道沿いの在所の村の名主による植樹で杉並木が作られたことから「杉並」の村名が生まれ、それが現在の区名の由来になったといわれます。荻窪、高円寺周辺には青梅街道を始めとする大小の道路や鉄道が走っており、JRや私鉄の駅の周辺は住宅地として発展してきました。閑静な住宅地の中に、インドの偉人の像を訪ねます。
(写真をクリックすると説明もご覧になれます。ポップアップブロックを解除してください。)
● マハトマ・ガンジー (1869~1948)
■建立・序幕:2009年5月24日
日本で「マハトマ・ガンジー」として知られているモハンダス・カラムチャンド・ガンジー(ガンディー)は、インドの宗教・思想家、独立運動家です。1869年10月にイギリス領インドの北西部、クジャラートのポールバンダル藩王国(内政権を認められている諸侯領の一種)の宰相の子として誕生しました。若い頃はヒンドゥー教の禁忌を破ったりすることもありましたが、イギリス留学を機に法律の勉強に精進するようになり、学校卒業後にイギリス領南アフリカ連邦で弁護士として開業。しかし同地で白人による人種差別の現状を強く認識し、被差別民の権利回復運動に手を染めるようになります。
1915年にインドに帰国して以降は、一時期、戦争(第一次大戦)協力の代償に自治を認めたイギリスに協力したものの、戦後約束を反故にされると反英運動を呼び掛け、武力闘争の失敗を経て不服従の独立運動へと転換。民衆の支持を得て運動は大きく広がりました。しかし、インド国内にはヒンドゥー以外にもイスラム、仏教などの教徒が多数おり、ガンジーは他教との連携を志しますが成功しませんでした。またヒンドゥー教にも原理主義者のグループがあり、「ガンジーはイスラムに妥協している」と考えたヒンドゥー原理主義者により1948年1月、自宅で暗殺されます。享年79。悲願の独立(自治権獲得)は、存命中は1947年にインド連邦として自治権を得たものの、その国家元首はイギリス国王で、事実上の独立となる共和制に移行したのは死後の1950年のことでした。なお、通称として使われる「マハトマ」は、「偉大なる魂」という意味の尊称ですが、インドでは「父親」を意味する「バープー」の名でも親しまれています。
銅像は、荻窪にある区立中央図書館に隣接する、読書の森公園にあります。この像は、2008年にガンジー修養所再建トラスト(ガンジー主義=非暴力・不服従主義に基づく社会的弱者や貧民の救済を掲げて国際社会の平和を目指す団体)から贈られたもので、杉並区日印交流協会により2009年5月24日に建立されました。約2メートルの台座付き立像で、杖を手に、民衆の先頭に立って歩く姿を元に描かれています。シンプルな像ですが、理想を胸に前に進もうとする躍動感にあふれ、ほぼ等身大であることもあって非常にライブ感のある見応えある像となっています。像の左右には、ガンジー座右の「七つの大罪」の銘文と、銅像贈呈の銘文がそれぞれ置かれています。
■建立:1990年8月18日
■製作:盛岡公彦(立体写真像株式会社)
スバス・チャンドラ・ボースはベンガル出身のインド独立運動家、政治家、軍人です。1897年1月にイギリス領インドのベンガル州に生まれ、学問を志してカルカッタの大学に進みます。後にイギリスのケンブリッジ大学に留学しますが、ガンジーの独立運動に共鳴して1921年に運動に参加。このころからイギリスの植民地政府から反英運動の要注意人物としてマークされ、やがて穏健な活動を志すガンジーの一派と対立したことから独自の運動に転換。第二次大戦が勃発するとイギリスと戦う枢軸国との接近を図り、ドイツ、イタリアに協力を求めるも断られます。
1942年に南方進出に成功した日本への接近に成功すると、1943年にラース・ビハーリー・ボース(日本にインド式のカレーを伝えたことでも知られる独立運動家。武力闘争派として手配され、日本に亡命)が率いていた独立運動を継承。日本の後押しで自由インド仮政府を樹立します。しかし、日本の敗戦により武力によるインド解放の夢は破れ、ソ連の協力(米ソ冷戦を予測し、ソ連がイギリスと対立するはずであると信じていたといわれます)を求めるために渡航を企てますが、台湾で航空機事故により亡くなりました。遺骨は東京の杉並区にある日蓮宗蓮光寺に納められました。インドの独立に直接的な寄与はできませんでしたが、現在ではガンジー、ネルー(初代インド首相)とともに独立運動の3傑の一人とされています
銅像は、遺骨を納めた蓮光寺にあります。蓮光寺住職の長年にわたる遺骨供養への謝意と日印友好に鑑みてインドのスバス・チャンドラ・ボース・アカデミーにより1975年に建立されたもので、台座付きの胸像です。同寺には在日インド大使館の職員・家族、ビジネスマン、観光客のほか、インディラ・ガンジー首相ら数人の政府高官も訪れているそうです。
像は軍服姿で、トピーと呼ばれる三角の略帽を被っています。製作は立体写真像株式会社で、ポートレート写真を元に、インドを離れて精力的に反英闘争を指導していた時代の姿を克明に描いた像となっています。