靖国神社周辺 |
銅像マップ、2回目となる今回は東京都千代田区九段にある靖国神社とその周辺を探訪します。靖国神社は旧称を東京招魂社といい、戊辰戦争以降に日本国内外の事変・戦争で戦没した軍人・軍属を祭神とする神社です。また九段周辺は江戸城外堀に面し、靖国神社とともに桜の季節には大勢の花見客で賑わう観光スポットでもあります。
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● 大村益次郎 (1824~1869)
■製作:大熊氏廣
■建立:1893年
大村益次郎は、江戸時代の文政7年(1824)に長州藩の医師の長男として誕生。オランダ医学を学ぶ傍ら西洋兵学を修め、のちに長州藩の兵制の近代化に辣腕を振るいました。西洋式装備の常備軍「奇兵隊」の整備・育成を始めとする成果は、幕府軍を撃破した第二次長州征伐における戦いで遺憾なく発揮されます。戊辰戦争渦中の上野戦争では、彰義隊の蜂起を一日で鎮圧するなどの活躍を見せました。兵制化を指導するなど後の日本陸軍創設の中心人物でもありましたが、道半ばの明治2年(1869)に刺客に襲われ、その傷が元で亡くなりました。治療には、上野恩賜公園に銅像があるボードワン博士(ボードウィン)も参加しました。
大村は戊辰戦争の戦死者を祀る東京招魂社建設に先立ち、自ら建設候補地であった九段の現地視察を行ったといわれ、その建設に尽力しました。明治15年、大村の慰霊祭の席で靖国神社宮司から銅像建立の案が出され、当時内務卿であった山田顕義らが中心となり銅像建立が本格化したとのことです。
銅像の製作は、明治18年に大熊氏廣に依頼され、靖国神社の参道中央に建立。明治26年に除幕式が行われました。大熊氏廣は、依頼を受けた明治18年当時、すでに西洋彫刻家としてその名を知られていましたが、依頼の重要性に鑑みて西洋彫刻を極めるべく海外に留学。その成果をもって日本最初の本格的な西洋式銅像として完成させました。なお、大村益次郎像の顔は上野公園の方を向いており、西郷隆盛像と視線を合わせているともいわれています。
● 大山 巌 (1842~1916)
■製作:新海竹太郎
■建立:1918年
大山巌は天保13年(1842)に薩摩藩士の次男として生まれました。薩英戦争で西欧の近代的な軍備に衝撃を受け、砲術家・江川太郎左衛門に師事するなど、新しい知識を吸収。日本陸軍に入って後は西南戦争や続く士族反乱の鎮圧に参加。日清戦争では第二軍司令官(大将)、日露戦争では満州軍総司令官(元帥)として、日本の勝利に貢献しました。海軍の重鎮であった西郷従道(西郷隆盛の弟)とは従兄弟でした。
銅像は軍服を着た騎乗姿で、新海竹太郎の製作により大正7年に完成。最初は現在の憲政記念館に建立され、のち上野に移転。現在の場所には昭和44年(1969)に移されました。
場所を転々としているのは、第二次大戦後、GHQによる軍国主義排斥のあおりで一時撤去されるなどしたため。しかし、歴史に名を残す名将の一人として大山巌に敬意を抱いていたGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーが破却処分に待ったをかけ、また各方面から銅像の芸術性の高さを惜しむ声が上がったこともあり、処分を免れました。なお、マッカーサーは日本を離れるにあたり、この銅像を持ち帰ることまで考えていたといいます。
近代の軍人像としては、皇族のものを除いては数少ない乗馬像の一つで、品川弥二郎像と並んで建っています。
● 品川弥二郎 (1843~1900)
■製作:本山白雲
■建立:1907年
品川弥二郎は、天保14年(1843)長州藩萩に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学んだのち、薩長同盟の成立やその後の戊辰戦争で活躍。明治政府成立後は、政治家として内務大臣など要職を歴任し、政界引退後も学校や信用組合の設立などに関わりました。また歌詞の一番に有栖川宮熾仁親王の姿を歌った「宮さん宮さん~」の歌い出しで知られる『トコトンヤレ節』を作詞したことでも知られています。
銅像の製作にあたった本山白雲は、四国桂浜にある坂本龍馬像や東京霞ヶ関の伊藤博文像など、幕末・明治の志士や政治家の像を手がけたことでも知られ、品川弥二郎像も代表作の一つです。完成は明治40年ですが、関東大震災で台座ごと倒壊。しかし、作者自ら私費を投じて再建しました。銅像がある千鳥ヶ淵は、東京でも有数の桜の名所。満開の桜に囲まれる頃が見頃、といいたいところですが、めちゃ混みになりますので咲き始めがお奨めです。
なお、大村益次郎の銅像製作を献策した山田顕義とは松下村塾の同門で、のちに協力して長州藩に御盾隊を組織するなど関係が深く、出身地である萩(山口県萩市)の萩往還公園には松下村塾時代の二人の姿を描いた銅像があります。
● 遊就館展示像
靖国神社には社殿以外にもいくつかの施設がありますが、日本初の軍事博物館として誕生した遊就館もその一つです。遊就館には建設された明治15年以来、戦争の遺品など約10万点の収蔵物が収められていますが、そのうちおよそ5000点を館内に展示。また展示施設前の広場には数体の銅像が展示されています。
遊就館ロビー正面に置かれている立像は、大戦末期に特攻出撃したパイロットの姿を描いた特攻勇士の像(原型製作は北村西望、平成11年建立)。さらに軍馬(戦没馬慰霊、実物大の馬の立像で昭和33年奉納)、軍犬(軍犬慰霊像、平成4年に奉納)、軍鳩(鳩魂塔、地球儀と鳩を意匠としており昭和57年奉納)など軍事利用された動物たちを慰霊する銅像、また戦後の苦難を乗り越えて子供を育てあげた戦争未亡人の姿を描いた母の像(成長した子供たちの手により昭和49年に献納)などがあり、戦争に関わらざるを得なかった人たちが軍人以外にも数多くあったことを思い起こさせてくれます。
なお、遊就館館内(入場有料、零式艦上戦闘機などの展示と売店があるロビーは無料)にも銅像や、戦後GHQによって処分されてしまった「広瀬中佐像」の原型など、貴重な収蔵物が多数展示されています。