編集後記

「翼」から「轍」へ

 長くご愛読いただいた「日の丸の翼」を終え、新たな連載に移行するという決定を編集長から伝えられた時、すでに「次は車両」と、ほぼ腹は決まっていました。が、問題は扱う範囲。「日の丸の翼」では、戦闘機、爆撃機といった花形だけでなく、練習機や輸送機などにも光を当てておりました。
 そこで基本的な方向性は踏襲し、「自走、牽引を問わず、車輪を有する日本軍車両を幅広く」という方針と、「日の丸の轍」というタイトルが決まりました。こうして新連載が決まったのですが、筆者古峰さんからのラインナップ提案はなかなかトリッキーというかスリリングというか。第1回が九四式自動貨車、続く2回目がリヤカー。リストを見た時の編集部の反応と発売された雑誌を手に取った読者の方々の反応は、恐らくそう違わなかったと思います。
 特に第2回のリヤカーは、イラストを手掛けた上田さんも「いや~困ったね。どうしようか」と漏らしたくらい、編集する立場から見てもなかなか手ごわいテーマだったのですが、記事を執筆された古峰さん、イラストを担当された上田さん、胃袋さんの卓越した筆致によって、連載の方向性がピタッと定まった記事になったのではないかと思います。
 これからも、読者の方々が直球待ちの時に変化球が、好球必打でストライク待ちの時にアウト・ローのボール球が行くかもしれませんが、そんな意外性も含めて楽しんでいただきたいと思っております。
 ちなみにリヤカーなのですが、記事を作成していた時になんとなく「そういえば東京の都心では見なくなったな」などと漠然と考えていました。地方では今も活躍しているところをテレビ番組などで見ることもあるのですが、都会では軽トラックの性能向上と普及もあって小規模輸送のモータリゼーション化が進んだ結果、リヤカーが使われるケースは昭和30~40年代と比べれば確かに激減、といった感じです。
 しかし、どうも私もチコちゃんに叱られるような日常を送っていたようです。ある日、歩いていると目の前を通り過ぎる宅配便の自転車の後ろにリヤカーが。住宅地の網の目のような路地を縫っての集荷や配達は、軽トラックよりも自転車とリヤカーの組み合わせのほうが効率的、とのこと。なるほど、都会の住宅地は物流の最前線。今もリヤカーは激戦地に在るのだ――、との認識を新たにしたのでした。

 (by 熊右衛門尉/歴史群像152号)

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