■筑後の動乱の歴史を体現する、 菊池武光像
菊池武光像。
台座には無数の穴やへこみがある
本誌次号掲載予定の「南北朝九州軍記」の取材のため、筑後方面へ行きました。その目的地のひとつが大刀洗川とその河畔に立つ菊池武光像。菊池武光とは、征西府の懐良親王を助け、「南北朝動乱・九州の関ヶ原」とでもいうべき「大保原(おおほばる)の合戦」を勝利に導いた九州屈指の名将です。像はその戦場の近く、武光が血まみれの刀を洗ったといわれる大刀洗川の脇に、昭和12年(1937)に立てられたものです。鎧を着用した勇ましい姿が印象的でした。
撮影をしていたら、ふと台座の石の部分に無数の穴や欠落部分があることに気づきました。太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)3月、この近くにあった陸軍大刀洗飛行場を狙った米軍の爆撃の際、爆弾の破片でできたものです。すぐそばに爆弾が落ちたのでしょう。
南北朝動乱と太平洋戦争。菊池武光の像はその姿と傷跡で、筑後地方が体験した650年離れたふたつの戦争をなによりも雄弁に語り継いでいるように見えました。
撮影をしていたら、ふと台座の石の部分に無数の穴や欠落部分があることに気づきました。太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)3月、この近くにあった陸軍大刀洗飛行場を狙った米軍の爆撃の際、爆弾の破片でできたものです。すぐそばに爆弾が落ちたのでしょう。
南北朝動乱と太平洋戦争。菊池武光の像はその姿と傷跡で、筑後地方が体験した650年離れたふたつの戦争をなによりも雄弁に語り継いでいるように見えました。
(by たけ蔵/歴史群像133号)