サイト内検索

TOKYO銅像マップ

京成青砥

モーツァルト

ヨハン・シュトラウス

 葛飾区一帯は、古来より川と大きな関わりを持つ地域で、東京湾へと注ぐ江戸川などの河川の周辺に広がる低地帯です。河川が運んできた砂礫などで形成された自然堤防や氾濫防止のための人工堤防などが河川沿いに点在し、かつては丘陵地帯もあったそうです。葛飾の名は、様々な呼び名が江戸時代に一つにまとまったものといわれ、「葛」は河原に繁茂する植物、「飾」は丘陵や河口に見られる砂州を意味する古語に由来するともいわれますが、諸説あってはっきりとはしていないようです。こうした河川地形と深い関わりを持つ葛飾区だけに、町々の名にもその名残が見られ、今回訪れた京成線「青砥」駅も、元々の地名の青戸(駅名は青砥ですが、地名は青戸)は港湾や河口を意味する言葉が由来だといわれます(これも諸説あり)。

(写真をクリックすると説明もご覧になれます。ポップアップブロックを解除してください。)

モーツァルト (1869~1948)

製作:1991年
製作指揮:フリッツ・ティーフェンターラー
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、神聖ローマ帝国領・ザルツヴルク出身の作曲家・演奏家です。音楽家であった父・レオポルトの子として1756年1月に誕生しました。早くから父にその音楽の才能を見いだされ、3歳から楽器演奏を始めて神童と呼ばれました。やがてモーツァルト父子は欧州各地の演奏旅行へと旅立ちます。父の目的は宮廷音楽家としての就職(結局は失敗)だったようですが、息子の方はレベルの高い音楽教育を受け、天性の才能を開花させる絶好の機会となりました。アマデウスは、1781年にウィーンに移って以降はパトロンを得られぬまま作曲活動を続け、『魔弾の射手』『フィガロの結婚』など、現在も多くの古典音楽ファンに愛される名曲を生み出します。しかし音楽家としては不遇で、才能を妬んだ宮廷音楽家らに就職を妨害されるなど生活費にも事欠く中で体調を崩し、35歳の若さで亡くなりました。音楽家らとの確執と死の謎は、映画『アマデウス』でも推測と事実を交えて描かれています。
 銅像は、葛飾区青戸と立石のほぼ中間に位置する「かつしかシンフォニーヒルズ(音楽・芸能を中心とした多目的ホール)」正面入り口に設置されています。左手を譜面台に添えた堂々たる立像で、モーツァルトの容姿はもちろん、近世ヨーロッパの服装まで緻密に描かれた見応えのある像です。この像のオリジナル(1896年4月21日建立)はウィーン市王宮庭園にあり、オーストリア政府から唯一複製許可を得て建立されました(没後200年記念事業として、オリジナル像の修復作業と共に1991年に複製を製作)。
 実はその陰には、葛飾を代表する人物・フーテンの寅さんが一役買っていました。映画『男はつらいよ』シリーズで唯一の海外ロケがウィーンのフロリズドルフ区を中心に行われ、これをきっかけに1987年、葛飾区と友好都市の提携が行われたことが縁となったそうです。なお、寅さんの像も京成線「金町」駅前に建立されています。

TOP    BACK

ヨハン・シュトラウス(2世)
(樹脂像) (1825~1899)


 ヨハン・シュトラウス(2世)は、17世紀のオーストリア・ウィーンを中心に活躍した作曲家、指揮者、演奏家です。1825年に作曲家ヨハン・シュトラウス1世の長男として誕生し、父や2人の弟とともにウィンナワルツの作曲に尽力し、多くのワルツの名曲を生み出して「ワルツの父」と呼ばれました。
 京成線「青砥」駅前にある像は、樹脂成型ですがバイオリン演奏の姿を描いた立像で、有名なウィーン市立公園の像を模したもののようです。銅像のような重厚感こそありませんが、見応えがあります。1992年にシンフォニーヒルズが完成した際に、建物に至る道程の出発点となるものとして設置されたとのことです。


モーツァルト ヨハン・シュトラウス(2世)