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TOKYO銅像マップ

番外編2 東郷平八郎

東郷平八郎
(秩父御嶽神社)

東郷平八郎
(横須賀・三笠公園)

 今回番外編第2弾で、銅像を求めて訪れたのは埼玉県飯能市と神奈川県横須賀市です。飯能市は、埼玉県南西部に位置し、外秩父山地をまたぐ市の約6割は山林が占める自然豊かな地域です。古くから林業で栄え、江戸時代には入間川等の水運を利用して江戸の建築需要を支えた材木の一大供給地でした。寺院・神社も多く、山岳信仰の対象ともなっていたようです。

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東郷平八郎
 (1848~1934/秩父御嶽神社)

建立:1925年4月17日
 東郷平八郎は、明治時代の海軍軍人・指揮官です。後に「アドミラル・トーゴー」の名で世界的に知られるようになる東郷平八郎は、江戸時代末期の弘化4年(1848)に薩摩藩士の四男として誕生しました。幼名は仲五郎、元服後は平八郎実良と名乗り薩英戦争や戊辰戦争等に従軍。若い頃は闊達・多弁で知られましたが、明治維新後の英国留学を機に多弁を憂慮する声を知り、慎重・寡黙を心がけるようになったといわれています。英国留学では、海軍での修学は叶わず、商船学校で学びました。
 帰国後は海軍に奉職し、駆逐艦『浪速』の艦長として日清戦争に従軍。日清戦争後は佐世保や舞鶴の鎮守府司令長官を歴任。日露開戦を目前にした明治33年(1900)には、連合艦隊司令長官に大抜擢されました。海軍の重鎮・山本権兵衛が東郷の慎重・寡黙にして実直な性格を高く評価してのことでした。そして迎えた日露戦争での、日本海海戦の勝利は説明の必要もないでしょう。世界の海軍史に刻まれる戦いを指揮した東郷平八郎は、イギリスのネルソン、アメリカのジョン・ポール・ジョーンズと並び、世界の三大提督にも数えられています。
 「東郷元帥像」と銘された銅像は、秩父御嶽神社(ちちぶおんたけじんじゃ)にあります。同社は明治27年(1894)に開祖・鴨下清八によって創建された神社です。鴨下氏は、日露戦争後、東郷平八郎の人柄と精神に感銘を受けて銅像の建立を志し、断り続ける東郷のもとに日参して許可を受けたといわれます。大正14年(1925)に、東郷本人ほか海軍関係者列席のもとで除幕式が行われました(除幕式の写真は秩父御嶽神社のサイトで見ることができます)。
 台座付きで、右手に帽子を抱え、左手は腰のサーベルに添えた海軍の大礼服姿の立像です。表情はもとより佩用する勲章、飾緒なども非常に立体感があり、見応えのある像です。銅像のある境内は「東郷公園」と呼ばれ、山の斜面に沿った広大な敷地には、開祖・鴨下清八の行者姿の立像もあります。また東郷自身の揮毫による文言を刻んだ碑の数々のほか、貫通孔も生々しい戦艦『三笠』の甲鈑、ロシア軍野砲、係留機雷など日露戦争の遺物も展示されています。毎年11月20日頃には「もみじまつり(まつりの際のみ入山料が100円必要です)」が開催されるなど、紅葉の名所としても知られています。

 実は同社には、乃木希典(人物解説は「広尾~青山一丁目」をご覧ください)の銅像もあります。こちらは東郷公園の外れの、木立に囲まれてやや分かりにくい場所に立っています。「東郷元帥像」よりもやや小ぶりですが台座付きで、銘板には昭和4年の建立当時の陸軍大臣・宇垣一成が筆を執った献辞「忠魂義魄(忠義に準じた人の魂魄の意)」が記されています。こちらも表情はもちろん、大礼服の細部まで見事に再現された見応えのある像です。

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東郷平八郎 (横須賀・三笠公園)

建立:1967年5月27日
製作:清水多嘉示
 首都圏にはもう一つ、東郷平八郎の立像があります。戦艦『三笠』(詳細は本サイト・VISUAL Gallery内のVRツアー 記念艦「三笠」をご覧ください)が記念館として係留(固定)されている神奈川県横須賀市の三笠公園内にある「東郷平八郎銅像」です。製作は長野県出身の彫刻家・清水多嘉示(しみずたかし)で、昭和42年(1967)の建立です。
 こちらは日本海海戦時の『三笠』艦橋に立つ海軍軍装姿を模しており、右手は愛用のツァイス社製双眼鏡、左手は皇太子(後の大正天皇)より下賜された一文字吉房の海軍拵(軍刀)に添えています。銘板には「日本海海戦後言志 日の本乃海にととろく かちときは 御陵威かしこむ 聲とこそしれ(日本の海に轟く勝鬨は天皇陛下のお耳にも届く)」(署名・花押)の句が記されています。旗艦『三笠』をバックにした凛とした姿は、それだけで絵になります。


源 義家 新田義貞 川崎平右衛門