サイト内検索

TOKYO銅像マップ

大森~立会川

エドワード・S・モース

坂本龍馬

今回は品川区内、大森貝塚遺跡庭園~立会川付近を巡ります。大森といえば大田区なのですが、大森貝塚遺跡庭園は品川区内にあります。大森一帯は、かつては海に面しており、漁業が盛んで、江戸時代には東海道の宿場町の中継点としても繁栄した地域です。明治維新以後は殖産・興業の流れに乗って発展し、京浜工業地帯の一部として工業地帯を形成していました。現在は住宅地域・商業地域が成長する一方で、旧工業地帯の再開発なども進んでいるようです。立会川は目黒区から品川区にかけて流れる2級河川で、2003年にボラの大群が出現したことで話題になりました。源流は目黒区内にあり、現在は多くの部分が暗渠化しています。大森駅付近と立会川駅の2か所の像は歩いて20分ほどの距離にあります。

(写真をクリックすると説明もご覧になれます。ポップアップブロックを解除してください。)

エドワード・S・モース (1838~1925)

建立:1985年5月
製作:盛岡公彦(立体写真像株式会社)
 エドワード・シルヴェスター・モースは、アメリカ人の動物学者です。1838年にメーン州ポートランドで誕生。学生時代には学業に集中できなかったモースですが、一方で貝類の収集では大きな注目を集め、やがて大学教授の助手を経て生物学研究者としての道を歩みます。後にライフワークとなる貝塚の発掘もその研究の一部でした。日本へは明治10年(1877)に初来日し、その際に大森貝塚を発見。いわゆるお雇い外国人として東大と研究契約を結んで大森貝塚の発掘(発掘はモースの独力ではなく、初期にはシーボルトの次男らも関わっていました)を進め、大きな成果を上げる一方、精力的に講演なども行いました。明治15年まで、都合3度来日し、最後の来日では陶器や民具といった日本文化に関する収集も行っています(晩年はこちらがライフワークに)。日本への愛着も深く、モースから東大図書館に多くの貴重な学術書なども寄贈されています。1925年に87歳で亡くなりました。
 銅像は、品川区立大森貝塚遺跡庭園内にあります。この庭園は発掘現場を品川区が買い取って整備したもので、貝が見える地層の一部が展示されているほか、園内自体も古代の地層を模した造形を施されているなど、凝った作りになっています。
 モース像は腰から上の半身像で台座付き。手にした土器を見つめる姿が描かれています。貝塚の発掘は30歳代後半の事業ですが、像は中年以降の土器・陶器収集に情熱を注いだ時代の姿のようです。またこの像は、写真をベースに立体像を作るという、写真立体像株式会社の技術(技術研究開始は大正9年で、現在世界11か国で特許を取得している独自の製作手法だそうです)によって制作されており、表情や服装の質感など、非常にリアリティのある作りが見どころです。

TOP    BACK

坂本龍馬 (1836~1867)


建立・除幕:2010年11月13日
製作:盛岡公彦(立体写真像株式会社)
強化樹脂像移転建立:2004年11月
 坂本龍馬は、倒幕・明治維新へと続く次代の奔流の中で、数多くの志士に大きな影響を与えた幕末を代表する武士の一人です。NHKのドラマで注目を集めている(2010年現在)こともありますので、経歴は簡単に。誕生は幕末の天保6年(1836)年で、四国・土佐の郷士の次男でした。少年期は家庭内で学業に励み、長じて剣の修業(目録の腕)、江戸への遊学を経て尊王攘夷運動に参加します。武市半平太主宰の土佐勤皇党に在籍する中で諸国の志士たちとの交流を広げ、土佐藩脱藩後は勝海舟とも懇意となって神戸海軍操練所にも在籍するなど、めまぐるしく活動の場を転じながら、独自の日本近代化への方法を模索。やがて薩長同盟を仲介して幕末維新への大きな転換を演出しました。しかし、自ら描いた新しい日本の姿を見ることなく、慶応3年(1867)、盟友の中岡慎太郎と共に京都・近江屋に滞留中に刺客に襲われて暗殺されました。享年31歳。短くも激しい生き方は、今も世代を超えて多くの共感を集めています。
 銅像は、やはり出身地の高知県高知市桂浜にある立像がもっとも有名で代表的なものといっていいでしょう。しかし品川区にも立像が存在します。龍馬は、品川にあった土佐藩下屋敷に付属する鮫洲抱屋敷の警護に就いたことがあり、その近くには浜川砲台がありました。近年になり、その浜川砲台の跡地から敷石が発見されたことから、それ記念して高知市から品川区に桂浜の立像を元にした樹脂像(写真下)が贈呈されました。この像は2004年に立会川駅正面に設置され、浜川砲台跡地に一時移転したのち立会川駅横商店街の児童公園へと移されました。
 そして2010年11月に、東京京浜ロータリークラブ有志を中心に寄付が寄せられ、新たに銅像が製作されたのです。この像は龍馬が鮫洲抱屋敷の警護で滞留していた時期の年齢を想定して製作されており、20歳の龍馬像と言われています(写真上)。
 製作は地元品川区にある「立体写真像」会長の盛岡公彦氏の手によります。20歳前後の龍馬は写真等がないため、現存する有名なポートレイト写真(30歳前後)を元に、他の龍馬像を参考にしながら表情に手を加えたそうです。なお「先代」の樹脂像も、土佐藩の旧下屋敷跡に建てられた品川区立浜川中学校に移転建立されています。


エドワード・S・モース像 坂本龍馬像 坂本龍馬像(強化樹脂製)