「城下町探訪」 伊賀上野―築城の名手・藤堂高虎の城をいただく“忍の里”
伊賀上野城 旧 崇廣堂
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●高石垣 直高約30m、大坂城や姫路城と並び日本有数の高さを誇る。築城の名手と謳われた高虎の真骨頂である。打込接(うちこみはぎ)で積まれた精緻な壁面構成と、緩やかな曲線を描く角部分の算木積(さんぎづみ)が美しい。 |
(上)本丸側から見ると、その高さを実感できる。 |
講堂にかかる扁額は、米沢藩主・上杉治憲(鷹山)の揮毫。 |
崇廣堂は文政4年(1821)、伊賀・大和・山城の領地に住む藩士子弟の教育のため、津の藩校・有造館の支校として、伊勢津藩10代藩主・藤堂高兌の時代に開校。講堂をはじめ、門や玄関棟など主要な建物が創建時のまま残る。 |
旧 崇廣堂 講堂内部 |
赤門と通称された弁柄塗りの表門。見学者もこの門をくぐって入館する。門の奥に見えるのが玄関棟で、いずれも創建時代の建物。 |