川越城 | |
別名・通称 | 霧隠城、初雁城 |
城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 太田道真、道灌 |
築城年 | 長禄元年(1457) |
主要城主 | 扇谷上杉氏、酒井氏、堀田氏、松平(長沢・大河内)氏 |
廃城年 | 明治3年(1870)頃 |
遺構 | 本丸御殿、富士見櫓跡 |
所在地 | 埼玉県川越市郭町2-13-1 |
問い合わせ先 | Tel:049-222-5399 川越市立博物館 |
アクセス | 東武東上線、JR川越線・川越駅西口、あるいは西武新宿線・本川越駅から小江戸巡回バスで約15分 |
*十三里の距離に培われた江戸、東京の衛星都市*
川越と聞いて源義経を連想したとしたら、その方は結構な歴史通かも知れない。そう、義経の正妻は源頼朝に重用された御家人・河越重頼の娘で、平安時代の終わり頃に現在の埼玉県南西部地方で勢力を持っていたのが河越氏であった。だが今日一般的に川越と言えば、誰もが「蔵造りの町並」と「小江戸」を思い浮かべるに違いない。とかく並べて称されることが多い蔵と江戸は、まさに川越を物語る2つのキーワードである。しかし、ご承知のようにほんの一部を除いて土蔵が盛んに建てられたのは、明治時代に大火で焼失した街の復興に際してのことで、単純に蔵=江戸というワケではない。少しばかりくどく申し上げるなら、通りに連なる重厚な土蔵建築は、大火からの復興に臨む商家の財力・活力の象徴、つまりは近代を迎え商業都市として繁栄する川越の象徴である。そして、その繁栄の土台が築かれたのが近世城下町の時代であった、ということで、2つのキーワードの間には歴史的因果関係が挟まれているのだ。
そもそも川越に初めて城が築かれたのは長禄元年(1457)、扇谷上杉持朝の命を受けた家臣の太田道真、道灌父子による。以来川越城は、北関東勢力に対抗する扇谷上杉氏の防衛拠点となったが、やがて戦国時代になると関東一円で勢力を振るった後北条氏の支配下に組み込まれ、さらに豊臣秀吉の小田原征伐で、天正18年(1590)に後北条氏が滅ぼされると江戸に入った徳川家康へと引き継がれた。
江戸開府にともない川越の地には、“江戸の搦め手”という軍事的重要性から三河時代からの重臣・酒井重忠が封ぜられ、初代川越藩主となる。そして5代将軍・綱吉に側用人(大老格)として仕えた柳沢吉保に代表されるように、廃藩に至るまで川越藩主の多くは幕閣の重職を担った親藩や譜代大名が務めた。
さて、この川越が経済的に発展する契機となったのは、寛永15年(1638)の大火で堂宇が焼失した徳川家にも所縁のある寺院・喜多院と仙波東照宮の再建であった。このとき、江戸から川越へ資材を運ぶため利用されたのが、大川(隅田川)から荒川、そして新河岸川(内川)へとつながる河川である。時代はちょうど、その才気煥発ゆえに知恵伊豆と称された松平伊豆守信綱が藩主をしていた頃。城下の町割を定め、新田開発など藩の殖産興業を努めた信綱が河岸の整備拡充を行ったことは言うまでもない。川越から江戸へは米麦などの農産物が、また後には特産品の織物も運ばれ、逆の上り荷には江戸で流行した呉服や生活雑貨などが多かったという。江戸直結の物流ルートの確立により、川越は近隣一帯の物資の集散地となり、同時に江戸の文化や活気がもたらされるようになった。元々は江戸防衛の拠点としての役割を担った川越であったが、平和な時代が続くに従い、その役割は薄れ、代わって経済的なバックヤードとして急速に拡大、発展する江戸を支えることになったともいえようか。
そして、このように周辺の農村地域の中心として商業都市へと発展する流れは、藩政時代が終わり近代へと移行してからも、留まるどころか加速するばかりであった。ちなみに新河岸川舟運は、昭和初期まで商業都市・川越の大動脈として機能している。埼玉県で最初に電灯が灯されたのも、県内唯一の国立銀行・第八十五銀行が設立されたのも、さらに初めて市制施行したのも川越と、上記「蔵造りの町並」以外にも近代になってからの川越の隆盛を示すエピソードには、枚挙にいとまがない。
今日の川越は、幾ルートもの鉄路で都内随所に直結する利便性の高いベッドタウンとして位置づけられる。「栗(九里)より(四里)うまい、十三里」とは江戸との距離・十三里に掛けた、幕末時代から特産として知られる川越いもの宣伝コピーである。この十三里、約50kmという近すぎず、遠すぎない絶妙な距離によって近世、近代、そして現代に至るまで、江戸・東京の衛星都市としての歴史を刻んできたところに、川越という街の個性と魅力があるのではないだろうか。ジックリと歴史をひもとくように、市内に残る近世・江戸の遺構、近代の文化遺産を訪ねたい。
※現在の川越市は人口約34万人。幾ルートもの鉄路で都内随所に直結する利便性の高いベッドタウンとして、また埼玉県を代表する文教都市として知られる。市への主要交通は、JR川越線(川越駅)、東武東上線(川越駅、川越市駅等)、西武新宿線(本川越駅)、関越自動車道(川越IC)、国道16号・254号等。
北東から望む江戸時代末期の川越。(市立博物館に展示されるジオラマより)手前が城郭で、その向こうに町が広がる。左奥の緑地は喜多院と仙波東照宮。 |