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岐阜―天下統一の野望に燃える信長が本拠とした城下町
 
岐阜城
別名 稲葉山城
城郭構造 山城
築城主 二階堂行政
築城年 建仁元年(1201)
主要改修者 斎藤道三、織田信長
主要城主 斎藤道三、織田信長
廃城年 慶長5年(1600)
現在の天守 望楼型、三重四階鉄筋コンクリート造。昭和31年(1956)に、加納城御三階櫓の図面や古文書を参考に復興
所在地 岐阜県岐阜市金華山天守閣18
問い合わせ先 Tel 058-263-4853
アクセス JR岐阜駅・名鉄岐阜駅よりバス約15分、岐阜公園歴史博物館前下車、金華山ロープウェーで山頂駅へ。そこから徒歩約8分
*織田信長が改名した町*
 岐阜の市街地の中を悠々と流れる長良川の左岸にそびえる、標高329mの金華山。その山頂に初めて砦を築いたのは二階堂行政、建仁元年(1201)のことと伝えられるが、当地が日本史の表舞台となったのは戦国時代の後半になってからのことだった。親子二代にわたる国盗りの物語で知られる斎藤道三が美濃国の実権を握るようになると、この金華山に城を築き、城下の井ノ口の町を整備。そして、尾張を制した織田信長が道三亡き後、永禄10年(1567)に稲葉山城を落として、道三の孫・龍興を追放。美濃をも支配下に置いた信長は、町を井ノ口から岐阜に改名、合わせて城も岐阜城と改め、ここに居城を移したのだった。
 この岐阜の名は、中国の古代王朝・周が岐山という村から興ったことにちなむ。また、信長が「天下布武(武力で天下を統一する、の意)」の印章を使い始めたのも岐阜に入ってからである。伊勢湾に向かって広がる肥沃な濃尾平野の頂点に位置する岐阜に本拠を置いて、信長の天下統一は本格化したといえる。城下では楽市楽座が保護され、長良川水運の要衝として栄え、諸国から集まった物資や商人で溢れるその賑わいぶりは、信長との謁見のために訪れたポルトガル人宣教師・フロイスが「(大いなる都)バビロンのよう」と形容するほどだった。
 そして天正4年(1576)、信長は城を嫡男・信忠に譲り安土へ移る。本能寺の変で信長、信忠が倒れてからは、岐阜城主は幾人かの大名が入れ替わり、文禄元年(1592)には信長の嫡孫・秀信が城主となったが、慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍についたため東軍に攻められ落城。その後、徳川時代には岐阜に代わって、後に中山道の宿駅がおかれる加納に城が移された。しかし、岐阜は以降も幕府直轄時代を経て尾張藩が統治、商業都市として発展した。

※現在の岐阜市は、人口42万人以上を擁する岐阜県の県庁所在地で、同県の政治・経済・文化の中心地として発展。同市への主要交通は、JR東海道本線(岐阜駅)、名古屋鉄道名古屋本線(名鉄岐阜駅)、東海北陸自動車道(岐阜各務原IC)、国道21号など。



織田信長(イラスト=藤生ゴオ)

岐阜マップ


Ⅰ 城郭の見どころ


Ⅱ 町の見どころ


Ⅲ 町角情報

岐阜城 岐阜市歴史博物館 川役所跡 崇福寺 円徳寺 鵜飼の里/鵜の庵 鵜 常在寺 川原町泉屋 道三塚 加納城址 大手門跡 本陣跡 脇本陣跡 岐阜公園内信長居館跡