「城下町探訪」 静岡―戦乱の世を完全終結するために築かれた城下町
安倍川餅 静岡おでん
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安倍川餅
家康が大御所となってから駿府に住んだ理由の一つに、安倍川上流に産する金が挙げられる。静岡名物として名高い安倍川餅は、家康がその金山を検分に赴いた際、黄粉を砂金に見立てた“金粉餅”と称する餅の献上を受け、それが気に入り“安倍川餅”と命名したのだと伝えられる。なお、その餅を献上した「亀屋」という屋号の餅屋は戦前まで続いた。大御所の命名とあって、参勤交代で安倍川を渡る大名も賞味したという安倍川餅、その名は各地に広まって東海道を代表する茶屋餅となり、近代以降は静岡土産の定番となったが、戦時中は統制によって原料がなく販売が途絶えたこともあった。それを昭和25年(1950)に戦後復興の証として静岡駅で販売し始めたのが3代目豊国の錦絵(喜多八)のパッケージでお馴染みの「やまだいち」。同社が経営する「登呂もちの家」では、茶屋餅時代と同様の搗きたて餅を湯煎したものに和三盆入りの黄粉をまぶした、本来の安倍川餅を賞味することが出来る。
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一皿500円。駅で販売されているお土産用の加糖餅とはひと味違う。お土産用は1パック240円から。
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静岡市駿河区にある弥生農耕集落の遺跡・登呂遺跡の側に建つ「登呂もちの家」。お雑煮等の餅料理も人気。また、同店の姉妹店「きなこ」がJR静岡駅港内で営業中。
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静岡おでん
老若男女不問、お酒を飲む人にも飲まない人にも、そして冬に限らず一年中季節を問わず、愛され続けている静岡市民のソウル・フード。夏になるとかき氷も出す店の隅で、おでん鍋がグツグツ煮えているという光景は静岡では当たり前だ。近年はB級グルメ・ブームの影響か、「静岡(しぞーか)おでん」と呼ばれることもあるが、静岡市民にとっては昔から今も“ただの”「おでん」であることに変わりない。牛スジ肉等で取った出汁に濃い口醤油を利かせた真っ黒な汁に、具はすべて串刺しにして入れ、食べる際には“だし粉(イワシやカツオの削り節の粉)”と青海苔をかける。スジ肉とともに具に絶対欠かせないのは静岡特産の黒はんぺん。居酒屋で酒の肴にするのはもちろんだが、もともとは町中の駄菓子屋でも一年を通して販売されていて子どもたちに人気のおやつの一品だった。また、ご飯のおかずにもう一品加えようと鍋で買って帰るお母さんたちもいる。こうして子どもから大人まで、家庭でも飲み屋でも、その汁同様のとっても濃い静岡市民とおでんの関係が築かれているのである。出身者はおろか地元民も食べたことがないというものまで横行する、最近の急拵え御当地グルメものとはわけが違うのである。
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“青葉横丁”。付近の“青葉おでん街”と双璧をなす静岡おでん(居酒屋系)の中心地。戦後間もない頃より青葉地区にはおでん屋台が並んでいたが、公衆衛生上の問題(トイレがない)から、時代が下るに従い店舗化して横丁をなしている。なお、居酒屋のおでんは一串100~200円が主流。
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(上)静岡おでんの代表的な具。手前からスジ肉、黒はんぺん。具は串刺しが基本。糸こんにゃくは、串に刺すというよりも串に絡まっている。
(左)“大やきいも”という焼き芋屋さん(あくまでもお芋がメイン商品)の店内に設えられたおでん鍋。お客は好みの具を自分で皿に取り、食べたあとに串を勘定して清算するという伝統的スタイル。店内から醸される昭和の匂いが郷愁を誘う。肉100円以外は全て一串60円。旨味がしっかり染みていて、それでいて後味はサッパリ。おむすびと一緒に食べて昼ご飯にするお客さんも多い。
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マップ&駿府城データ Ⅰ 城郭の見どころ Ⅱ 町の見どころ