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戦国に生きた人物と近現代のヒーローを比較検討し、新たな価値観を構築する暴走コラム!

…………。

豊臣秀次 とよとみ ひでつぐ

1568~1595

 秀吉の姉・瑞龍院日秀の子。つまりは秀吉の甥にあたる。一時阿波三好康長の養子に入り三好信吉と称したが、間もなく親族衆として秀吉の許に迎えられる。当初は単なる親族衆の一員に過ぎなかったものの、後に実子に恵まれない秀吉の養子となり二代目豊臣関白を継承。しかし、秀吉に実子秀頼が誕生したため疎んじられ、謀反の疑いをかけられて殺害された。暗愚で粗暴な「殺生関白」という不名誉な徒名が定着している、かなり気の毒な武将。

激似戦国武将論 信長の独断 クラシックス・プラス ●文・イラスト/大野信長

【その16】

豊臣秀次と
ピノキオ

リアルタイプ(木目仕上げ)

PINOCCHIO ピノキオ

1880~ あやつり人形

 1880年、イタリアのカルロ・コロッディによって書かれた童話「あるあやつり人形のお話」に登場した木製のマリオネット。「正直であること、勇気があること」を条件に、生みの親ゼペットの本当の子供になろうと奮闘する姿はディズニーの映画で一躍有名になった。好奇心旺盛で冒険好きという設定だが、コロッディの原作では我儘で悪戯な性格に描かれている。かの手塚大先生の名作「鉄腕アトム」にも影響を与えた……とも何かで読んだ気がするんですけど。

機やスリルを共有した男女はその「ハラハラ感」を恋心と錯角してしまうんだそうだ。で、これを「吊り橋効果」とか呼ぶんだ、確か。じゃあM78星雲の宇宙人もカラータイマーが点滅したりするから皆つい感情移入してしまい、応援しちゃうんだろうか? あ、関係ないっスか。ともあれ今回の秀次というヒトにもハラハラさせられ、或るイミ心を奪われます。
 戦国武将には欠かせない「親族衆」という家臣団を持たない秀吉が、ともかく血の繋がった年頃の男子を、と連れて来たのが彼・秀次。実家は農家とも木地師ともいうくらいだから、実父の吉房なる人物も所謂「サムライ」ではないのだろう。しかし秀次はいきなり小牧・長久手の合戦やら四国攻めやらで責任あるポジションを任されてしまい、お約束通りにミスを犯す。
…ああやっぱし。
「秀吉の甥というだけで」大きな地位を与えられた秀次の立場は、非常に危ういものであったにも拘らず、悪いことに彼の危機認識能力はお子ちゃま程度だったらしい。無邪気に剣を習ったり武具を徴発したり、聚楽第の金を困窮する大名に(勝手に)配ってしまったり、挙げ句の果てには蒲生家の後継者問題にまで首を突っ込むその不用意さ。周囲に認められたいという思いはよく解るんだけど、世間知らずの上に空気を読めないがために、地雷原にスキップで踏み込むかの如き御振舞い。見ている方がハラハラし過ぎて悶絶しそうだ。もう「志村後ろ後ろー!」状態。
 ん? このハラハラ感は? で思い出すのがピノキオ。人間の子供になるため、全てに前向きに努力する人形の姿は、純粋なだけに切な愛しくさえ映る。
しかしわざわざ危険な選択肢を選んでいるかのように不用心に突き進むのは何でだよ! 結果、悪い人間には騙され、クジラ(原作ではフカ)には飲み込まれる有様。
ほらやっぱり。
秀次に木村常陸介がいたように、ピノキオにもコオロギという「常に側にあって助言やフォローをしてくれる味方」がいたが、その心労はいかばかりだったか。何しろこのお子ちゃま達に危険を冒している自覚は皆無なのである。
 秀次とピノキオ。方や傀儡(かいらい)、方や傀儡(くぐつ)の両名は、本来ならば必要のない──操られる身としては持つべきでない──「意志」を持ち、自らが置かれた世界に相応しくあるため彼らなりに努力を続けた。「器量あるサムライになるために」そして「人間になるために」。結果として危機に陥ろうとも、それは「最良と思われる選択」の産物であったにすぎない。その先には、自分をこの世界に存在させてくれた孤独な老人の喜ぶ顔が待っている筈だったのだから。
ピノキオの努力は実を結び、最終的には人間となって人形師ゼペットの愛情を受けることが出来た。だが秀次は、その努力の方向とも結果とも無関係に、存在を否定され命を奪われている。血統も、そして住居も、傀儡がこの世に存在した痕跡の一切は消滅させられたのである。それは物語作家ですら想像し得ない結末だったかもしれない。
 ………………また激似にならなかったなあ。うーん………。
 ………………ハラハラしながら書いてはみたんですけどね。

【その16】初出/歴史群像Vol.51(2002年2月号)

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