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戦国に生きた人物と近現代のヒーローを比較検討し、新たな価値観を構築する暴走コラム!

そのヒゲがごっつ気になる肖像画

 長宗我部元親 ちょうそかべ もとちか

1539~1599
 

 土佐の小領主であった国親の子。父の死後家督を継承し、まず周辺の小豪族を切り従えた後、国司一条氏を逐い土佐を掌握、次いで阿波を陥とし、遂には四国全土へその版図を拡大した。その過程で信長と接触し、一時は協力関係を保ったが、同じ四国に領地を持っていた三好氏らが信長に接近して利害関係が衝突すると、武力衝突すら厭わない姿勢を貫いた「気骨者」。が、未成熟な軍備・経済力では対抗出来る術もなく、秀吉の侵攻をうけて遂に屈している。

激似戦国武将論 信長の独断 クラシックス・プラス

【その8】

長宗我部元親と
星野一義

コワモテです。

星野一義 ほしの かずよし

1947年7月1日生まれ
レーシングドライバー

 静岡県出身。「日本一速い男」と呼ばれたドライバー。高校卒業後、二輪カワサキチームに「もぐり込み」モトクロスチャンピオンを経て四輪ドライバーに転向、頭角を現す。が、未だ草創期の日本レース界にあって金銭的にも技術的にもサポートは得られず、「世界一速い男」への挑戦は果たせなかった。その後も国内で多くの栄光(133勝21タイトル)を獲得し、02年秋引退。F・ニッポンチームの監督も務める。モータースポーツ界で「男星野」といえばこの方。

「鳥

無き島のコウモリ」と信長に評された武将がいる。長曽我部元親。彼は生まれ育った島国=四国で驚異的に領土を拡張した出来人であったが、それとてすでに外界を征しつつある男から見れば「井の中の蛙」にすぎないと揶揄されたのだ。
 1976年、日本で初めて開催されたF1グランプリのグリッドに一人の男がいた。星野一義。二輪レースから転向し、いつしか「日本一速い男」の異名をとるまでになった日本屈指のドライバーである。とは言え日本グランプリのみのスポット参戦、それも型落ちを改造した「お世辞にも最新とは言い難い」マシンに乗った「世界的には無名に等しい男」は、大方の予想通り予選21番手と低迷した。当時スタードライバーだったJ・シェクターは決勝レースのスタート前、星野にこう言ったという。
「周回遅れにされる時は、右か左かどちらから抜いて欲しいか合図しろ」。
 ところがマシンの性能差が少なくなる雨天を味方に星野は猛追撃を開始、遂にそのシェクターを追い詰めると、コーナーのアウト側から(!)ブチ抜き3位まで浮上した。世界への道が開けたと思われたのも束の間、ピット作業の初歩的なミスで星野はあえなく敢え無くリタイアとなった。「俺より速いヤツ(がいるなどという事態)は許せない」負けず嫌いの男はコクピットに留まったまま泣き続けたという。星野のF1はこうして終わった。日本グランプリの毎年開催、ジャパンマネーによる日本人ドライバーの参加、ホンダエンジンの活躍──それらを遡る事10年以上前の出来事である。
 さて元親の評価は現在でも高いとはいえない。3000貫の小領主から四国を掌握するまでに昇りつめたのにだ。全ては「島国のNo.1で終わった」という結果によるのだろう。
  だがそれは元親個人の器量とイコールではない。兵農分離も不完全なら装備も時代遅れで粗末という、海に隔てられ情報からも技術からも取り残された「島国のハンデ」が存在したからだ。当時のいわゆる「中央」から土佐まで何日の行程を要したかは不明だが、20時間でアフリカまで行けてしまう現在と比べれば、そこにはまさに現在の「外国」以上の隔たりがあったと考えるべきではないのだろうか。
 そんな元親に対し「中央強国」の織田信長は、飴とムチを使い分けて常に「上から」介入をし続けた。だが元親は大筋ではこれに従いつつも、際限なく従順な態度まではとっていない。かつて与えられた「四国攻略のお墨付」を信長が一方的に破ろうとした際には「自ら獲得した土地は約束通り我が領土である。渡しはしない」と頑として譲らぬ態度をとり続けるなど、国家領主としての尊厳は保ち続けている。誇り高き男だったのだろう。そしてF1への参戦が現実的でなくなった星野も後年、ある海外のF1チームからの「カネを払えばドライバーとして迎える」というオファーに対し、「オレはプロだ、プロは走ってカネを貰う立場だ」と断ったという。それが「外つ国」へ通じる絶好のチャンスだったにもかかわらず。
 後に土佐は山内氏の領地となり、旧長宗我部家臣は「郷士」として低い身分に位置付けられた。だが幕末に竜馬を生み、明治維新の旗頭となったのは彼ら郷士に他ならない。そして「日本一速い男」の称号は、星野のカーナンバーと共に継承され、今も国内トップカテゴリに尊厳をもって残されている。
 地理的・時期的な不利から、知名度も評価も一般には「いまひとつ」の二人。しかし、誇り高きオトコの魂は、熱きオトコ達に確実に受け継がれたのである。

【その8】初出/歴史群像Vol.56(2002年12月号)

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