西洋建築

東京・荻窪の丘陵地一帯は、現在は閑静な住宅街として知られるが、JRの駅から少し離れると昭和の香りが今なお数多く残されている。注目したいのはかつて文化人や実業家が居を構えていた宅地跡などが庭園や記念館となって現存していることで、建築物のみならず植樹等にも保存や管理が行き届いていて、紅葉の季節には遠くから足を運ぶ人も多いという。近衞文麿の旧宅である『荻外荘(てきがいそう)』、実業家・詩人である角川源義の旧宅『角川庭園・幻戯山房(げんぎさんぼう)~すぎなみ詩歌館~』、音楽評論の重鎮・大田黒元雄の屋敷跡に日本庭園を整備した『大田黒公園』は「三庭園」と呼ばれ、すべて周っても2時間程度の散策に絶好のコースとなっている。一部分ではあるが、その魅力を紹介しよう。

『荻外荘』

 総理大臣として第一~三次の組閣を経験し、戦前日本の舵取りを担った政治家・近衞文麿の旧宅。153号「制作こぼれ話」に詳細は記したが、豊島区より邸宅の一部を移築・復原するプロジェクトが進行中で、完成後は『荻外荘公園(仮)』として公開の予定。
 建物自体は平安神宮や東大正門を手掛けたことで知られる建築家・伊東忠太の設計で、富士を一望できる絶景の立地に惚れ込んだ近衞が1937年に入澤達吉より購入。今は周辺が宅地開発されたため「富士を一望」とはいかないが、自然あふれる環境は随所に残され、秋には敷地に植樹された樹木の紅葉が目を楽しませてくれる。

『角川庭園・幻戯山房~すぎなみ詩歌館~』

 国文学者、俳人で角川書店の創設者でもある角川源義(げんよし)が住居として建築。1955年竣工。当時としては先駆的な昭和モダンの気風を取り入れた建物で、庭園に面した広間は仕切り等の建具をどかすと庭園と空間統一される造りになっている。
 「三庭園」の中では敷地面積が最も小さいが、その分、広間の前の一面の芝生とそれを囲むように配された高低差のある順路や木々の配置にメリハリと凝縮感があり、季節による開花や草木の色彩の変化が事細かに楽しめる。庭には都内でも珍しい「水琴窟(土中に瓶を沈めてその上に砂利を敷き、水を垂らすと水滴が瓶の底面に滴り落ちて独特の音を響かせる風雅な仕掛け)」があり、水を垂らして音を試すこともできる。

『大田黒公園』

 音楽評論家・大田黒元雄の旧宅敷地に周辺の土地を併せて公園として整備してある。宅地の三割を公園として残してほしいという大田黒の遺志に基づいて、寄贈された土地を基に回遊式日本庭園として整備された。
 敷地内の仕事場(アトリエ)は、記念館として改装・保存されており、レンガ造りの洋式建築として貴重。館内には大田黒が愛用したピアノ等も残されており、一般公開されている。鯉が泳ぐ池や水路には鳥も訪れ、また秋になるとタイミングによっては銀杏の黄色、紅葉の赤、樹木の緑が混然となった鮮やかな風景が楽しめる。


 

●現在、杉並区では『荻外荘』の復原や整備のため、広く寄付を募っている。歴史的建造物の保存に力を貸したいという方、また一般公開等でぜひ訪れてみたいという方は下記の杉並区公式サイトを参照してください。

国指定史跡 荻外荘(近衞文麿旧宅)

寄付については、ふるさと納税サイトからの寄付、みどり公園課窓口、ゆうちょ払込取扱票での応募方法があります。
問い合わせは都市整備部みどり公園課まで。

サイトからは以下のサイトをご覧ください。
ふるさとチョイス』(杉並区の使い道欄)

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