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戦国に生きた人物と近現代のヒーローを比較検討し、新たな価値観を構築する暴走コラム!

推理じゃねーだろ、それ!!

伊達政宗 だて まさむね

1567~1636

 奥州探偵、違った探題伊達輝宗の長男。同家中興の祖・主膳大夫政宗に因んで命名されたが「先祖の名にかけて」と口走っていたかどうかは定かでない。人呼んで「奥州の独眼竜」。父の死後領土拡張に乗り出し、瞬く間に奥州を制圧する。しかし関東への侵攻を目前にして、天下人秀吉の小田原進撃に遭遇。以降は秀吉・家康の「油断ならぬ」部将として仕える。劇的な前半生の割には何となく覇気の無い印象の後半生、と言ったら怒られるんだろうか。159.4cm、B型。

激似戦国武将論 信長の独断 クラシックス・プラス ●文・イラスト/大野信長

【その18】

伊達政宗と
金田一耕助

毒まんじゅう……マサムネ?

金田一耕助 きんだいち こうすけ

1913~?(設定より)私立探偵

 横溝正史氏創作の御存知「名探偵」。くたびれた羽織袴に下駄、もじゃもじゃの頭髪がトレードマーク。実在の学者・金田一京助氏に因んで命名された。東北地方の出身で東京の私大を卒業後渡米、サンフランシスコで麻薬に溺れるも難解な殺人事件を解決し脚光を浴び、久保銀造なる後援者を得て帰国、東京に探偵事務所を構え、以後数々の難事件を解決する。73年「病院坂の首縊りの家」事件において失踪、以後の消息は定かでない。孫? 孫……ねえ…。

下人を決定づける素養とは何ぞや? 財力? 軍事力? 勝負勘? いやいや、それだけじゃないと思うぞ。
 名将と謳われながら天下に手が届かなかった者には、やはり欠点がある。信玄は大局観に欠けていたし、謙信は旧秩序に従順すぎた。名選手が必ずしも名監督になれないのと同様、要は天下人には向いていなかったのだ。しかしこの武将――伊達政宗にはこうした「補完すべき天下人としての不足能力」が見あたらない。家督を継いでからわずか5年で陸奥・出羽30郡以上を領地とする大大名へと急成長した背景には、年齢に見合わぬ苛烈さと、権謀術数の妙があった。治世者としての力量も確かだったし、抜き身の刃の如き野心を錆つかせることも無かった。天下との距離を縮める為の計画力をも有し、何より彼は近世の住人であった。信長より劇的に地盤を固め、秀吉よりも長命で、家康の死後も生き続けた政宗。しかし天下人となり得なかった以上、彼の評価はそれまででしかない。
 同じ東北出身の金田一耕助。実質的なデビューとなった「本陣殺人事件」から「病院坂の首縊りの家」事件まで、飽くなき探究心と明晰な頭脳で解決した難事件は数知れず。「犬神家の一族」や「獄門島」など、映画やTVなどで多く映像化もされている。しかし、彼を見ていて「…あれ?」と首をひねったのはオレだけか? 鋭い洞察力を以て、風土色バリバリの物語の中、彼だけが近代的に事件と接し、人間の業に嘆き、謎を解き、そして余韻を残して去ってゆく……カッコいい…んだけども……
 けどもね?……
「もう全員、殺されてるじゃねーか!!」
 この名探偵は犯人の凶行を阻止出来ていない。難事件を解決し、見事に犯人を特定してはいるんだけど、それは犯人が連続殺人を達成した後だったりする。その上犯人に自殺されたりもしちゃってる。完璧に後の祭り。もう少し早く解決出来ていれば、湖に突き出た両足や庭バサミで切断された頭部の持ち主は殺されずに済んだわけで…。有能には違いないにしろ、金田一は大事なところで全然間に合っていないのである。
 政宗も確かに名将であり、天下に号令する能力を備えていた。しかし秀吉の東方進出には間に合わなかった。そのうえ小田原にも遅参し、天下人への道を断たれている。多くの史家は指摘する。力量に不足は無かった。彼はただ「間に合わなかった」のだと。足場固めに? 天下の動勢に? いや、そもそも生まれるのが遅かったのだと。――天下人と一名将を隔てるもの、そのひとつに「生まれるタイミング」という要素が確実にある。どんなに優れた人物であろうと、時代の求める局面に居合わせなければ天下人にはなり得ない。歴史を見る限り、不条理だがそれは確固たる事実だと思う。
 実はこの原稿、歴史群像本誌での初出時には次回予告を無視し、予定を一回繰り上げて発表していた。時代に間に合わなかった不遇の名将の為、予定を「早め」た……ワケじゃない。単に予告してあった今川義元の調査が「間にあわなかった」だけだったんだけどね。

【その18】初出/歴史群像Vol.49(2001年10月号)

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