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戦国に生きた人物と近現代のヒーローを比較検討し、新たな価値観を構築する暴走コラム!

何が太閤じゃ この……


千 利休 せんの りきゅう

1522~1591
 

 堺の町衆出身。武野紹に学び、独自の主張を取り入れて侘び茶を大成する。いわゆる「ニッポン文化」の基盤を創った人物。商人としての立場も生かして、信長・次いで秀吉の茶頭となり、茶人としてのみならず非公式な側近としても絶大な権力を持つに至るが、秀吉と対立し切腹させられた。ワビサビを愛する粋人の印象が強いものの、茶器に法外な値を付け売りさばいたり、贈り物の返事に「金のほうがより嬉しかった」と書き残すなど意外に生臭い側面も持つ、アバンギャルドな芸術家。

激似戦国武将論 信長の独断 クラシックス・プラス

【その4】

千 利休と
セックス・ピストルズ

NO FUTURE !!

THE SEX PISTOLS
セックス・ピストルズ

1976~1979(おおよその活動期間)
ロックバンド

 メンバーはジョニー・ロットン(Vo) スティーヴ・ジョーンズ(G) シド・ヴィシャス(B) ポール・クック(Dr)。ブラブラしていた若いのが盗んだ機材で結成したバンドだが、ヤリ手のプロデューサー、マルコム・マクラレン(行きつけの服屋のオヤジ)の入れ知恵もあり、センセーショナルにデビュー。パンクロックの始祖として一躍スターダムにのし上がる。ジョニーの脱退とシドの薬物死でバンドはあっけなく空中分解するが、実は後の音楽界に多大な影響を及ぼしている。忘れてた。初期のベースはグレン・マトロックという地味な人。

馬鹿サマ。……個人的な愛情を加味しても、ピストルズの評価はこの一言で片付いてしまう。
 1970年代末のロンドン。失業率4%の深刻な不況の中に彼らは登場した。ツンツンに立てた短髪に、センスはともかくオリジナリティだけは突出したファッション(ちなみにこの服をデザインしていたのが若き日のヴィヴィアン・ウエストウッド。)、客を罵り大乱闘となるライブ。アイリッシュ独特のシニカルな視点から書かれた品性のカケラもない歌詞とシロウト以下のテクニック…ロッカー像の常識を片っ端から覆したロッカーはまた、その言動に於いても放埒の限りを尽くす。TV出演では放送禁止用語を連発し、エリザベス女王はもとよりMPLA、UDA、IRA、キリスト教徒、ユダヤ人をも曲中で挑発したのだ。もちろんメンバーは次々と暴漢に襲われた。何れも政治的な思想に裏付けられたものではなく、単なる思いつきだから余計始末に負えない。参ったか! と言わんばかりの狼藉三昧である。参りました。m(_ _)m。
 ロックスターは、卓抜した演奏技術や聴衆を魅了する曲作りの才能をもってスターたり得ていた。そこへ「言いたいことのあるヤツが楽器を持つべきだ、遠慮は要らねぇ」という一石が投じられたから堪らない。一部の才能ある者達が連綿と築いてきたロック産業のヒエラルキーは、単純極まりなく、その分パワーを持つパンク(=チンピラ)ロックに完全に駆逐されてしまったのである。
 利休? そうそう、彼が完成したいわゆる「侘び茶」なる新鋭の茶道。これも勿論、当時は前衛芸術であった。
 宣教師は記す 「その時代以降、多くの事を改め、余分のもの、煩わしいものを棄て去って古い慣習を変えると共に、平常の食事に至るまで大いに改善した…」。弟子の宗二も言う 「山を谷、西を東と茶湯の法を破り、云々……」。
 利休の茶は旧秩序を破壊したアナーキーな茶であり、彼自身も権力者秀吉に屈せず遂に討たれた反骨のヒトであった。彼が好んだ「黒いだけの茶碗」とか、「そのへんに生えてた竹」の花入れや茶杓。ある意味これもパンク魂満点なのだが、無論こんなウワッツラでこのコラムは終了しない。
 利休は「私の茶を継ぐ者は、私のやり方を継承する者ではなく、私の茶を継承しない者だ」という趣旨の言葉を残している。作法や様式ではない、利休茶とはあくまでも「自らのフィルターを通して侘びを追求する姿勢」だというのである。しかし現実は、作法そのもの、様式そのものが「利休の茶」として認識されている。ピストルズの場合も――奴等は単なる愉快犯なので何の言葉も残していないが――その髪形やファッションや音楽形態こそが「パンク」として罷り通っている。利休茶とパンクロック。皮肉なことに、様式美を蹴散らしたヒーローは、いともたやすく様式美になり下がったのである。…………諸行無常。
 天国の利休さんと(たぶん地獄にいらっしゃるであろう)シドさん、何とか言ってやれば?
 こんなトキはやっぱアレっすか?「F××K YOU」?(←自主規制)

【その4】初出/歴史群像Vol.41(2000年冬-春号)

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