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戦国に生きた人物と近現代のヒーローを比較検討し、新たな価値観を構築する暴走コラム!

利貞だ。

前田慶次 まえだ けいじ

?~1612

 諱は利貞、または利大・利太など。前田利久の長男で利家の甥にあたる。前田家を継ぐべき立場だったが、信長が利家に家督相続を命じたため、父に連れられ前田家を去る。後に帰参するも再度出奔、京で多くの人物と交流を深め自由気侭な一浪人として多くの逸話を残したとされる「傾奇者」。最終的には上杉景勝に心酔し家臣となった。奇人の誉れ高く奇抜な装束を好んだという、自称穀蔵院一刀流の使い手。小説やその漫画化作品で一躍有名となる。今回は二人とも油断して名乗ると噛みそうな名前だ。

激似戦国武将論 信長の独断 クラシックス・プラス

【その13】

前田慶次と
坂本竜馬

直柔ナリ。

坂本竜馬 さかもと りょうま

1835~1867

 竜馬は通称で、本名は直柔。ご存知明治維新の立役者。土佐の町人郷士の家に生まれたが、後に脱藩し浪人。多くの人物と交流を深め、後に勝海舟に師事。何ものにもとらわれない自由な発想と、自らの描く「新しい日本」の実現のために奔走、常に中立的に立ち振舞い続けた結果、遂には橋渡し役として薩長連合を実現させた。懐にリボルバー、袴に革靴という当時としては斬新かつ珍妙なスタイルで有名だが、北辰一刀流の免許皆伝者ともいう。日本史上、人気においては少なくとも五指には入るであろう人物。

由人、剣豪、大人物、でも出世には無欲なオトコたち。よっ! 憎いよっこの浪人! オシマイ。……ダメ(汗)? うーん、このヘンで納得して欲しかったなあ、敵を増やすのもイヤだからね。
 2メートル近い体躯で、通常の倍はあろうかという愛馬にまたがり、負け戦を好み、一騎駆けで野獣の如き剣を振う、風流とヘソ曲りの美学に生きるサムライ。それが一般に想起される前田慶次の姿である。そのうえ如何なる権力にも媚びずへつらわず、一方で誰とでも真摯に語り合う少年のような面も併せ持つとなれば、男惚れせずにはいられない<理想のもののふ>でもあるハズだ。
 「でもそれって、さほど史料的価値の高くない文献に記録されてるだけで、今の人気はそもそも小説に端を発するコミックに描かれた空想上の姿でしょ? 虚構の魅力なんでしょ?」皆様そうお考えでございましょう。確かにその通りです。
 ……でもね、竜馬の場合とどう違うの?
 竜馬は彼でしか成し得なかった「薩長連合の橋渡し役」を成し遂げた。それが日本の近代化の第一歩となった事は事実であり、彼の果たした歴史的役割は大きい。慶次の残した逸話とはスケールが違う事も確かだ。しかし、竜馬人気を支えている本質的な部分とは、案外彼のパーソナルな魅力――確固たる記録のない部分――であり、つまりは「物語に描かれた姿」に大きく起因していると言えないだろうか? 自由闊達、豪放磊落。固定観念として君臨するその人物像にも慶次と同様の「想像」若しくは「理想」が介在している可能性は皆無なのだろうか? 
 竜馬の逸話には、後に自由民権運動が盛んになった際、加えられた脚色が多いらしいという研究が近年発表されている。人を斬ったという確かな記録もない。それでも彼の人物像は依然として変わらないばかりか、その身長を180cm近い設定にしよう、と一部の愛好者達が働きかけたとも聞いている。竜馬は剣豪でなければならず、見た目にも逞しくなければならない、と考えている「竜馬ファン」も多いという事なのだろう。慶次も竜馬も、つまりは「カッコよく描かれた物語」の呪縛から逃れる事が出来ない英雄なのだ。
 例えば、家督に未練を残しながら市井に沈み、その中で人と出逢い剣を極め、必死で生きる道を模索し続けた慶次。或いは小柄で腕っぷしには自信が無く、悩んだり妬んだり、他人からは利用されたりもしながら懸命に生き、その上で偉業を成し遂げ謀殺された竜馬――仮に、それが彼らの本当の姿だったとしたら、両名にとって今の人気は悲劇であり、不本意の極みですらあるハズだ。彼らが人並み以上に積み重ねた汗と涙と努力とが、日の目を見ることなく抹殺されてしまうからである。
 残されている事実のみに基づいて判断を下す。常にニュートラルな眼で歴史上の人物を評価する。それが史家の端くれたるノブナガサンの自負であり、良心である。そして、それこそが歴史の謎と真実に対する敬意だと信じている。このコラムには、そもそもそういう高尚な意図が込められてたりするのだ (タマにはね)。
…………………うん、まあ、本当に「タマには」なんだけどさ。

【その13】初出/歴史群像Vol.53(2002年6月号)

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