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戦国に生きた人物と近現代のヒーローを比較検討し、新たな価値観を構築する暴走コラム!

意外に地味だったりして。

前田利家 まえだ としいえ

1538~1599

 尾張荒子城主前田利昌の四男。信長の側近として仕え、親衛隊である赤母衣衆に抜擢。織田軍団の多くの戦闘に従い勲功をたて、実力者となる。秀吉とは若年より親しく接し、その他にも年長、年少を問わず多くの武将から信頼を寄せられるなど人望も厚い。一方で若い頃、「傾き者」として名を馳せたとされ、事実一時は信長に背いて出奔さえしている。気骨ある好人物といったところか。んん~? てコトは人間としての汎用度は、さて低かったのか高かったのか?

激似戦国武将論 信長の独断 クラシックス・プラス ●文・イラスト/大野信長

【その17】

前田利家と
リッケンバッカー360/12

弦は描かんぞ! 面倒いからな!!

Rickenbacker360/12
リッケンバッカー360/12

1963~

 1931年、世界で初めてエレキギターを一般市場向けに発売したロー・パット・イン社のブランド「リッケンバッカー」が63年に製作を開始したセミ・ホローボディ、12弦仕様のギター。当初はステレオ・アウトプットを装備。独特なサウンドを特徴とするリッケンバッカーの中でも群を抜いて独特な響きを持ち、多くのミュージシャンに愛されている。が、独特過ぎて汎用度が低く、ジャンルを限定されるのもまた事実。チューニングが面倒なのでワタクシが持っているのは6弦仕様の330。

命とはかくも気紛れだ、というお話。
 前田利家──家康に「異を唱える」ことが出来た最後の男。いや、或いはその人望と経歴で、家康を封じ天下を掌握することも可能だった唯一の男。だが加賀100万石の基礎を築いたその絢爛たる生涯は、良くも悪くも運命に大きく左右されている。
 そもそも、利家は嫡男ではない。次男でもない。四男である。戦国の世において小領主の四男が如何なる生涯を辿るか?  他家との血縁を築くため養子に出されるか、一家臣に甘んじるか。何れにしろ100万石の国持ち大名とは程遠い境遇で終わるのが通例である。だが利家は、14歳で仕えた主筋のバカ殿、もとい若殿信長の寵愛を受けた。大たわけと傾き者。確かに近しいモノはあるかも知れぬが、気難しく味方も少ない評判の大たわけに気に入られただけでも珍事であるのに、たまたまこの大たわけが天下人に大バケしたから堪らない。たわけ子飼いの利家も、既に家督を継いでいた兄利久に代わり前田家を継承することを命じられ、次第に織田政権の中枢を担う武将に成長する。続く秀吉の治世にあっては、信長の臣として永く辛苦を共にした旧友秀吉の信頼を一身に受け、遂に家康と並ぶ豊臣五大老<筆頭>の地位を任されるまでになっている。
 一方、リッケンバッカーといえばギブソンやフェンダーと並ぶ世界有数のエレキギターブランドである。
 創業以来、細々とスティール・ギター等を生産していた同社は1964年、360/12と名付けられた一本の試作ギターを、ある売り出し中のバンドのギタリストに提供する。バンドの名はビートルズ。ギタリストの名をジョージ・ハリスンといった。やがて20世紀最大の音楽現象となる若者達に、360/12は偶然にも手渡されたのである。ハリスンはそれ以前にもリッケンバッカーの425モデル(6弦)を使用していたが、12弦だけがもつ独特の響きをいたく気に入ったことで、以降レコーディングでもコンサートでもこれを愛用。レノンの325モデル、マッカートニーの4001Sベースと併せて、リッケンバッカー・ブランドは「ビートルズの象徴」として急激に業績を伸ばした。後にビートルズに触発された多くの後発バンドに使用され続けるという2次的恩恵をも受け、「リッケン」はブリティッシュサウンドの代名詞として磐石の地位を得たのである。
 利家は信長に、360/12はハリスンに、それぞれ出逢い、相手が空前の成長を遂げたことによって、自らの地位のみならず「子孫」の将来までを大きく変えることになった。しかし無論、それが全てではない。新時代の開拓者の右腕として、共に相応しい能力を備え、或いは努力をもってそれに応えたから、という側面も見逃してはならない。利家だからこそ大納言になり得たのであり、360/12なればこそ世界中の人々を魅了し得たのである。独特の個性たちは、これ以上ないという天の配剤で花開いたのだ。
 あらら? ………………………………やっぱ運だわ。

【その17】初出/歴史群像Vol.48(2001年8月号)

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