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戦国に生きた人物と近現代のヒーローを比較検討し、新たな価値観を構築する暴走コラム!

ワシも

織田信長 おだ のぶなが

1534~1582

 言わずと知れた「尾張の大たわけ」。後には「天魔」などとも称される。日本中に沈殿した旧時代の澱みを、圧倒的なスピードと徹底したグローバルコンセンサスの破壊によってねじ伏せ、ごく短期間、自らの美学に基づく天下を構築した。その死を惜しむ声も多いが、時代によって生かされ、時代によって葬られたという印象もやはり禁じ得ない。遺品や血判状より、身長166~169cm、体重60kg前後、血液型はA型と推定されている。

激似戦国武将論 信長の独断 クラシックス・プラス

【その1】

織田信長と
カワサキ マッハIII

俺にさわるとヤケドするぜ!

KAWASAKI 500SS H1 マッハIII

1969~1974(製造期間)

 最高速度200km/hの性能を備えた世界初の市販車で、カン高い独特の加速音と白蝋色の煙で世界中のライダーを虜にした伝説のモーターサイクル。その暴力的な出力特性は「曲がらない、止まらない、真直ぐ走らない」「死神」「ジャジャ馬」と評され、熱狂的なエンスージアストを形成したものの、安全性・低公害を望む時代の中で次第にマイルドに調教され、やがて姿を消した。空冷2サイクル3気筒498cc、最高出力60ps/7500rpm。

迷の時代には必ず展開される“信長待望論”。企業家や政治家のセンセイの中にも「今信長」を自称する者をけっこう見受ける。イヤ、いいんですけど……ね。
 1960年代後半、苦戦を強いられていたカワサキが、起死回生を計るべく誕生させたマッハ。「最高速度190km/h以上、ゼロヨン12秒台」を実現させるために、開発陣の出した方針は単純かつ明解だった。「強力なエンジンを作ればいい」。
 当時最速と謳われた英トライアンフの“リッターあたり80ps”を遥かに凌ぐ120psの新型エンジンを搭載したマッハは確かに速かった。が、レーシングマシン並みにピーキーで、3000回転以下ではストール、6000回転を越えるとカン高い爆音を発し(平素はそうでもないが、時折激昂するとフロイスが記した信長評と奇しくも合致)強烈な振動を伴う急加速を始めライダーを振り落としにかかる。
 速さ第一、エンジン絶対君主。「全ての部署と協調を諮らなければ快適にも安全にも乗れない」その常識に対し「だからおめぇは遅いんだよ」とでも反論したような「曲がるにも止まるにも技量を要する」破天荒なコンセプト。死神と呼ばれる一方で、一部の猛者(とモノ好き)は“暴れ馬”としてこれを熱狂的に支持した。その伝説は現在もなお、畏怖を以て語られている。
 ―――では、問う。心して答えるべし。「今信長」を称する者は、何を以てノブナガと称するのか? 直感的な成功者だから? 独裁的リーダーだから………
 マッハは、誰よりも先に最速の称号を得る為だけに、他の全てをスポイルした。信長は、余人に先んじて天下を掌握する為に専制的に立ち振る舞い、旧世代を葬り、道理を無理で排除し続けた。だがそれは結果であって目的ではない。換言すれば、そうしなければ目標を達し得ない弱点乃至は事情を抱えていたにすぎない。前人未到の境地に達するために、彼等は敢えて選択したのである。自らの無様な姿を露呈し続けてでも目標を達成する「唯一無二の方法論」を……
 時代を超えてしまったエンジン(Motive=原「動機」)と、それを支えきれない旧世代のフレーム、ブレーキ、タイヤ。スピードに伴う凄まじい振動で部品が脱落する、ナンバーが割れる……天魔と罵られ、家臣の離反が相次ぐ……そうまでして疾走し続ける宿命を背負った者の惨めさを想うことなく、たかが金儲けや票集めが他人より得意な程度で信長を騙るとはお笑いだ。「失う」ことを誰よりも怖れているはずのあなた方が。
 ついでにもう一言。マッハはその特性ゆえに最速となり、伝説ともなった。だがその特性ゆえに短命に終わっている。信長もタダのタワケでなかったとすれば、自分の死後、織田政権が永続し得るか否かの推測は出来ていた筈である。
 知ったことか!――彼はそう言うに違いない。レースマシンは誰よりも早くゴールすれば、それだけでいいのだから――
 信長カブレの皆様、それでも真似します? え? 「お前はどうなんだ!」って? …………ヤだなあ、本名だってば!

【その1】初出/歴史群像Vol.38 (1999年春―夏号)

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