【第14回】『コレリ大尉のマンドリン』(2001・アメリカ)
作品名:コレリ大尉のマンドリン
監督:ジョン・マッデン
DVD発売元:ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント
価 格:¥1,500(税込) 好評発売中
Title: Captain Corelli's Mandolin
Copyright:© Universal/ Studio Canal/ Miramax
Photography Credit:No Credit Available
ワタクシ、戦争映画とともに、大昔の恋愛映画など、ことのほかお好みで、『終着駅』や『旅情』なんか好きです。で、こうした古典的メロドラマと戦争アクションを同時に楽しめるのが今回ご紹介する、『コレリ大尉のマンドリン』。私的にはかなりお得な映画ではある。
映画の舞台となったのは、第二次大戦時はギリシア・イオニア諸島のケファロニア島。島の美しい風土と戦争を背景に、婚約直後に出征しその後パルチザンとなった恋人を持つ女性と、占領軍の音楽好きで気のいい将校の恋愛物語。やはりこういう話はイタリア軍じゃなければ。
主演はニコラス・ケイジとペネロペ・クルス。大作になればなるほど、くどい演技で失笑をかうニコラス・ケイジも、そのくどさが本編ではいい味となっているし、その、ひょろりとしたスタイルは、イタリア軍の制服がよく似合う。ヒロインのペネロペ“ゴージャス・スペイン娘”クルス嬢も、ギリシアの田舎のインテリ娘を好演している。
面白いのが、ドイツ軍のウェーバー大尉以外、登場人物をあえてステレオ・タイプとして描いたところ。これで、特殊な状況下でのありえない恋愛を、普遍的な物語にしている。もっとも、イタリア軍の描写には、さすがにイタリアの退役軍人が抗議したらしいけど。
さてこの映画、戦争アクションの部分が、かなり見せます。
見所の1つは制服と各種兵器。
コレリ大尉の部隊は砲兵隊だから、兵隊の多くは、ちゃんと乗馬ズボンに革脚絆。乗馬部隊用の弾薬盒を着けている。
兵器の方だと、カルカノ小銃の砲兵・山岳兵タイプのM91/24カービンにベレッタのサブマシンガン。ブレダ51重トラック(もどき)に、大砲はドイツ軍の10.5センチ軽野砲と、(おそらく)ソ連軍の12センチ軽榴弾砲。こんなのどこから持ってきたんだ。ユーゴか? 珍しいところではAB40装甲車やSdkfz251装甲兵員輸送車に7.5センチ対戦車砲を搭載した22型も登場。で、コレリ大尉の愛車は、フィアット508Cスタッフカー。その他、ダミーも含め色々出てきまっせ。
で、こうした兵器が、ちゃんと活躍するのがこの映画の特徴。いやぁ、朝日をバックに飛来するスツーカの美しいこと。野砲は上陸海岸を側射できる位置に配置されているし、そのうえ、上陸直前にスツーカの爆撃で撃破される。なんか戦術教範どおり。また野砲を臂力搬送し、零距離射撃でヘッツアー戦車駆逐車を吹っ飛ばすなんてシーンもある。砲は駐鋤を打ち込んでないので、発砲の瞬間跳ね上がり、臂力搬送のときは、引っ張り易いように、兵隊が砲身に乗って重心を前にかけている。なんかもう、ホントに恋愛映画かよジョン・マッデン。
いや。やはりこれは、恋愛映画です。この映画の恋愛ってファンタジーなんだけど、これを上手く見せるためにこれらの兵器と戦闘シーンが存在するのだ。例えば、いかにイタリア軍がお人好しでも、田舎道を傍若無人に走る大型トラックの姿はやはり占領軍だし、ドイツ軍は、スーパーパワーを持つ悪役として描かれる。
そう「戦火の中のあってはならぬ恋」をハッピー・エンドで終わらせ、美しいファンタジーとするために、こうした凝った兵器によるリアルな戦闘シーンは必須なのである。
さすが『恋におちたシェークスピア』で、衣装とセットに凝りまくって当時のロンドンを再現した(そういえばエリザベス女王、ちゃんと額の生際を剃ってたな)御仁。ここでもその完璧主義を遺憾なく発揮しているのだ。「神は細部に宿り給う」
(文=陸軍取扱中尉)
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【第13回】『エル・シド』(1961・アメリカ)
作品名:エル・シド
監督:アンソニー・マン
DVD発売元:東北新社
価 格:¥2,625(税込) 好評発売中
キリスト教徒によるイスラムからの国土回復運動、いわゆる「レコンキスタ」の英雄、エル・シドの生涯を描く屈指の巨編である。
11世紀後半のスペイン(イベリア半島)。8世紀に進出して以来、国土の多くを支配するイスラム教国と、北部に追い詰められたキリスト教諸国は互いに争っていた。キリスト教国の一つ、カスティーリャのフェルディナンド王に仕える若き騎士ロドリゴは、捕らえたイスラムの大公たちの命を救い、その一人から、真の勇気と情けを持つ武人として「エル・シド」の名を贈られる。
その後のシドの人生はまさに波乱万丈。イスラム教徒を助けたことで、婚約者シメンの父親から侮辱を受け、彼を殺す破目となり、シメンとの長く冷たい関係が始まる。一方では国王の死後、兄弟2人の王子の後継争いに巻き込まれ、兄の暗殺により新国王となった弟アルフォンソに、兄殺しとの無関係を宣誓するよう強要して疎まれ、追放される。しかし国を思えばこその勇気ある行動は、再びシメンの愛を勝ち得、多くの戦士が彼を慕って集まることになる。
時は移り、北アフリカからベン・ユサフ率いる強大なムラービト朝のイスラム軍が新たな侵略を開始。流転の生活を続けていたシドは、挙国一致でこれを迎え撃つべく、国王に協力を進言するも拒否され、わずかな同志とともに、ユサフと通じる都市バレンシアを奪回。この地の支配者になるよう薦める人々を制して町を国王に捧げ、ユサフ軍と激闘を繰り広げるが、一本の矢が彼を深く貫く。その夜遂に、シドの忠節に打たれた国王が、負傷の身を横たえる彼の元に援軍を率いて駆けつけるが……。
数ある中世史劇の中で、これほど見せ場の多い作品も珍しい。カラオラの町の帰属をかけて、槍や長剣を駆使し、馬上で、徒歩で組み打つアラゴンの勇士との一騎打ち。はたまた13人の騎士を相手に、たった1人で挑む死闘場面。ブルゴス大聖堂の壮麗なセットで展開する国王戴冠式……。スペインの自然や古城の風景をうまく取り入れた現地ロケが大きな効果を上げている。戦闘場面は特に凄まじく、バレンシア攻撃シーンでは、城壁にジリジリと迫る攻城兵器群をじっくりと見せ、ユサフ軍と激突するクライマックスでは、疾走する騎馬戦士や雲霞の如き徒歩兵の集団が打ち合い斬り合い、矢が雨霰と降り注ぐ戦場場面を存分に見せてくれる。主役のC・ヘストンも巨大な物量に負けぬ堂々たる体躯と演技で、救国の闘将を好演していた。
さて史実が下敷きとはいえ、映画には脚色が付き物。1000年近くも前の人物の一生を3時間のエンターテイメントに仕立てるために、相当の圧縮・脚色が成されているが、現実の政治情勢やシドの人物像は映画より遥かに複雑であったろう。たとえば映画に描かれるシドは、完全無欠のキリストの騎士。逆境に追い込まれても最後まで国王への忠節を貫く、無欲にして有徳の英雄像そのものである。しかし現実のシドは職業軍人であり、イスラムの傭兵としてキリスト教徒と戦ったこともある。戦利品の獲得に熱心で、時に過酷な占領政策も行ったようだ。
だからといって、映画の価値が損なわれることはない。スクリーンのヒーロー像を楽しんだあとに、時代の制約の中に生きたその実像に思いを馳せるのも史劇映画の醍醐味である。すべてが終わったバレンシアの海岸を、愛馬に跨るシドが駆け抜けていくラストは忘れがたい名場面だ。
(文=テルシオ・工藤)
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