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THE WAR MOVIE セレクション

【第24回】 『ノン、あるいは支配の空しい栄光』
      (1990・ポルトガル=フランス=スペイン)

 ポルトガルといえば、鉄砲伝来や南蛮貿易などで日本と関係の深い国でありながら、その歴史を詳しく知る人は少ないのではなかろうか。そんなポルトガル史の格好の入門編が本作だ。
 1974年、ポルトガル領アフリカの大地を、物憂い表情の兵士を乗せたトラックが行く。当時アフリカ植民地の大半が独立を果たした中、戦前から続くサラザール独裁体制化のポルトガルは、世界の非難にも拘わらず植民地を保持、独立運動を弾圧していたのだ。戦争への疑問を話し合う部下たちに、かつて大学で史学を研究していたカブリタ少尉が、自国の挫折と敗北の歴史を語り始める。
 最初は紀元前2世紀、ローマのイベリア半島侵攻に対し、当時ルシタニアと呼ばれていたポルトガルが、勇敢な族長ヴィリアトの指揮のもとに激しく抵抗した話。何度となく勝利するものの、ヴィリアトは目先の戦闘のみに心を奪われ、ローマ文明の普遍性や統一国家の建国には考えが及ばず、身内の裏切りで非業の死を遂げる。
 2番目は15世紀後半、長くイベリア半島を支配していたイスラム勢力を、レコンキスタでほぼ駆逐した時代。当時のポルトガル王アフォンソ5世は、全半島支配の野望を抱き、カスティリャの王位継承に介入して出兵するも、1476年トロの戦いで阻止される。アフォンソの子ジョアン2世は、政略結婚による介入を企てるが、これも挫折する。
 究極の敗北は1578年、十字軍の英雄を夢見た狂信的なセバスティアン王に率いられたポルトガル軍だ。モロッコの内紛に介入して同地に遠征した王は、拙劣な指揮によりアルカセル・キビルでイスラム軍に大敗、戦死する。王家は断絶し、以後数十年間にわたりスペインによる併合の憂き目を見るのである。
 こうして、不寛容(=ノン)や、武力支配の空しさを説いてきた少尉も、ある日の戦闘でゲリラの銃弾を受け、倒れる。死線を彷徨う彼の前にセバスティアン王の幻影が現れて……。その日は、本国で無血革命が起こり、独裁体制が崩壊した日であった。
 巨匠オリヴェイラ監督の映画手法に関しては一まず置くとして、戦史ファンにとっては、古代から20世紀まで、投槍から自動小銃に至る戦闘を概観できるのは大きな魅力だ。各時代とも必要十分なエキストラを使った戦場シーンはなかなかの迫力。そして、過去の時代の兵士たちを、20世紀の少尉らと同じ俳優が演じ、時代を越えて繰り返される悲劇を紡いでいく。
 特筆すべきは古代編の考証で、ルシタニア人の投石器や投槍で攻撃されるローマ兵は、まさしく共和政期の獣の皮を被った軽装兵や、鎖鎧に楕円の楯を持つ戦列兵。このコスチュームは、既存の映画ではほとんどお目にかかったことの無い正しいイメージで、軍装マニアなら感涙間違いなしだ。
 一方、最大のスケールで描かれたアルカセル・キビルの戦いでは、敵の砲撃で味方がバタバタ倒れるのも構わず、聖母マリアへの祈りを捧げ続けるキリスト教軍や、その重装甲の騎士や兜を被った槍兵・銃兵が、軽装のイスラム兵に翻弄される様が、史実を象徴して印象的だった。
 こうした戦争絵巻の間に、あえて挿入されたファンタスティックな場面が、ポルトガルの海外雄飛を称揚した16世紀の叙事詩『ウズ・ルジアダス』の一場面。インド航路を発見したバスコ・ダ・ガマ一行の労苦を、女神や妖精が「愛の浮島」でねぎらうというエピソードだ。
 大航海時代のポルトガルの業績を、全人類への贈り物だと無邪気に誇ることは、海外進出が他民族支配の第一歩であることを思えば手前味噌に過ぎる気もするが、興味深くもある。

(文=テルシオ・工藤)

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【第23回】 『空の神兵―陸軍落下傘部隊訓練の記録―』
      (1942・社団法人日本映画社)

 ガダルカナル島で川口支隊がジャングルの中を這うように行軍し、増援の歩兵第4連隊が、ネズミ輸送で同島に向っていた昭和17年(1942)9月10日。長編ドキュメンタリー映画が封切られた。『空の神兵』である。
 『空の神兵』は、同年にヒットした『マレー戦記』に比べ、明るく、同時上映が中国の長編アニメーション(!)『西遊記(鉄扇公主)』だったから、「少国民」をターゲットにしたプログラムだったことを窺わせる。
 本作品は、パレンバン降下作戦により、すでに国民に知られていた「特殊」部隊、陸軍空挺部隊の訓練の状況を描いたもので、脚本・演出は『轟沈』の渡辺義美。
 ストーリーは、空挺部隊に新たに編入された新隊員(といっても下士官や古参兵)が、基礎訓練で鍛え上げられ、初めての落下傘降下を経て、最後の部隊戦闘訓練までを描いたもの。
 その時代性ゆえに、戦意高揚のための宣伝臭は多分にあるのだが、総じて淡々と描かれている。そして、その「淡々と」が面白いのだ。
 いうまでもなく当時は国民皆兵で、学校では軍事教練もあったから、歩兵の訓練はある種、常識だった。だが、落下傘部隊の訓練は新鮮であったろう。
 基礎体力訓練や、様々な器材を使用した降下のための予行訓練、また落下傘の細部描写など、技術に対する健全なフェティシズムと明治以来の日本人の心性であるモダニズムへの憧れをいたく刺激するのだ。そうして緊張が高まった上での初降下である。ドラマに絶対必要なカタルシスがここにはある。
 とはいえ、これ、ドイツの宣伝映画『降下猟兵』のパクリなんですね。実は。ストーリーどころか音楽の入れ方も同じ。
 もっとも―幾分ひいき目なのだが―筆者としては、こちらの方が面白い。なぜかといえば、描写がアメリカ(ハリウッド)的なのである。例えば、教官が隊員を指導する様子など、きちんと理屈を言って説明していて、いわゆる「無理偏にゲンコツ」ではないのだ。降着の際の指導風景など、もう無事を祈るような必死さ。
 そこには、権威主義的ではないリベラルな人間関係が見られる。さらに、初降下の際の異常な緊張感と降下後の達成感の描写も上手い。そうしたリベラルな人間関係やアクションのキレの良さ、先述した技術の描写や前編に流れる「明るさ」といった部分が、ハリウッド的なエンターテインメントとなっているのである。
 映画史に詳しい方はすでにご承知と思うが、日本の映画人(とくに戦前期)はハリウッド映画を手本にしてきた経緯があるし、現在のように戦前もハリウッド映画は日本を席巻していたのだ。それが、本作をヒットさせた最大の理由であろう。
 しかし、ひるがえって見れば、米英と戦っているのに、その宣伝映画がヒットした理由というのが米英的とは、いかがなものかと思うのでアリマス。

(文=陸軍取扱中尉[報道部付])

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