映画好きの編集者がリレー形式で、戦史を題材にした映画をご紹介するという、雑誌『歴史群像』の名物コーナー。記念すべき第1回は、2000年7月発売の「夏-秋号(No.43)」に掲載されました。
【第32回】 『戦場のアリア』(2005・フランス/ドイツ/イギリス合作)
作品名:戦場のアリア
発売・販売元:角川映画
価格: DVD¥1,890(税込)
クリスマスといえばキリスト教の一大行事。今の日本人は宗教ノンポリとでも表現できそうなくらい、異なる宗教由来の行事をごっちゃにしているが、欧州諸国の人口の大多数を占めるキリスト教徒にとって、クリスマスは家族や恋人とともに過ごすかけがえのない安息の時間なのだ。で、今回の作品は、そのクリスマスの一夜がもたらした奇跡を描いた映画。ベースにあるのは、戦時における愛情や安息への渇望である。
原題は『Joyeux Noël(ジョワイユー・ノエル)』、英語では「メリー・クリスマス」となる。第一次大戦初頭の1914年末、数十メートルの距離を置いて対峙するフランス・スコットランド連合軍とドイツ軍の間に起きた実話を元にしており、部隊はフランス北部の前線。時期的には第一次イプール会戦後である。
主人公は、スコットランド、フランス、ドイツという参戦国それぞれの将兵たちだが、唯一のヒロインとしてデンマーク出身のソプラノ歌手アナ・ソレンセン(ダイアン・クルーガー)が登場。前半は彼女がその美貌を遺憾なくふりまいてくる。いくら戦争映画とはいえ、せっかくのクリスマスに泥臭い男ばかりじゃ絵にならない――と脚本も手がけたクリスチャン・カリオン監督が考えたかどうかはわからないけど。
アナはドイツ軍兵士として出征している夫ニコラウス(テノール歌手)に会いたい一心から、ドイツ皇太子まで利用して夫との再会を果たし、さらに前線へも同行する。出世作『トロイ』で傾国の美女を演じたダイアン・クルーガーだけに、美貌を武器に秩序の歯車を破壊していくあたりは面目躍如だ。
その前線では、敵味方が「せめてクリスマスくらいは」と、ささやかな祝いを行う。スコットランド兵がバグパイプの演奏で歌い始めると、これにアナとニコラウスが“応戦”。歌をきっかけに両陣営の兵士たちが歩み寄り、クリスマスの夜に一次停戦が実現する。昨日まで銃弾が飛び交っていた塹壕の間に交歓の輪(当然、軍規違反)が広がる。消耗戦に疲れた兵士たちの安息を求める気持ちがクリスマスに向けて静かに盛り上がる演出は、派手さはないが見応えがある。
時期的にまだ戦車や航空機は登場しないが、対峙する兵士たちの服装や装備など細かい見所もある。
普仏戦争からあまり変わっていない軍装で登場するフランス軍は必見。濃紺のジャケットに「パンタルーン・ルージュ」と呼ばれた赤ズボンといういでたちで、1915年には廃止されるケピ帽を着用している。スコットランド軍も、チェック模様のついたグレンガリー帽(こちらは1916年まで)を着用。一方のドイツ軍も、兵士は皮製でスパイク付きのピッケルハウベと、まさに1914年という時期を見事に表現している。
またこの映画は、開戦初頭ということもあって、他の第一次大戦映画のプロローグとして観ることもできる。“クリスマスの奇跡”の当事者は、軍規破りの責任を様々な形で取らされるが、それぞれの行く末の描写が1915年以降を舞台とする既存作品へのつながりを微妙に匂わせてくれるのだ。
例えば兄を失ったスコットランド兵が、ドイツ軍の服装をしたフランス兵を射殺するシーンがある。皮肉にもこのフランス兵は、仲良くなったドイツ軍の協力で、ドイツ占領下に居る彼の上官の家族の安否を確かめに行った帰りだった。
射殺したスコットランド兵は「敵だから当然」という表情で、安息と相互理解の時が終わったことを暗に示す。撃墜王リヒトホーフェンを描いた映画『レッド・バロン』で、古き騎士道を守ろうとするリヒトホーフェンを「情は無用」と平然と撃ち落としたイギリス空軍のブラウン中尉の姿ともダブって見える。
あるいはラストの、司教によるスコットランド兵士への愛国と敵愾心喚起の呼びかけなどは、『西部戦線異状なし』の冒頭の参戦呼びかけシーンとイメージが重なる。戦争映画の定番要素と言えばそれまでだが、過去の作品へのオマージュが随所に見られる点にも注目したい。
(文=センチュリオン・大久保)
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【第31回】 『西部戦線異状なし』(1930・アメリカ)
誰でも人生に影響を受けた本というのがあると思うが、筆者にとってその1つがエーリッヒ・マリア・レマルクの『西部戦線異状なし』で、中学2年の正月に買ってから今も書棚の目につくところにある。で、今回ご紹介するのは、その映画。おそらく原作以上に知られている、1930年のハリウッド作品。監督は後に『オーシャンと11人の仲間』を撮ったルイス・マイルストン。
さてこの作品、第一次大戦の西部戦線を学徒志願兵の視点から描いたもので、原作が時系列を定かにしない構成を採っているところを、原作のエピソードを幾つか抽出しながらも、出征からその死まで、主人公パウル・ボイメル(映画だとポール・ボーマー。アメリカの作品だからね)の生涯を追いかける形になっている。その意味で映画としては大変観やすい脚本だ。
とはいえ、原作のスピリットを見事に映像化しているのである。それは何かといえば、「恐怖」と「絶望」と「締念」であり、その中でしか生きることができなかった自分と、そして同世代の友人への鎮魂であろう。この鎮魂は、有名なラストシーンに収斂されるが、つまり「ロストジェネレーション」を真正面から描いた作品なのである。
それはともかく、エピソードの選択や描き方は、戦争映画として第一級で、他の戦争映画を観る際も、「このエピソード“西部戦線”で使われてたな」と思ってしまうことが多い。なにしろ教師に煽られての出征から、兵営でのシゴキ、友人の戦死、激しい砲撃による発狂、野戦病院、さらには帰休した際の銃後の人々との断絶など、およそ戦争映画に描かれるエピソードは全て入っているのだ。
筆者の特に好きなエピソードは、帰休した際、家族とも断絶してしまっていることを主人公が認めざるを得なくなるところだが、肝心の戦闘シーンの描写も素晴らしい。
フランス軍の延々と続く攻撃準備射撃(重砲弾の唸りが怖い)から始まり、フランス軍の突撃、それを次次打ち倒す味方の機関銃。突撃の圧力に抗しきれず後退すると、今度は味方の阻止砲撃が始まり、逆襲の発起、そして白兵戦と、第一次大戦の西部戦線の戦闘全般が理解できる。なにしろ監督は、第一次大戦中に米軍で教育用映画を撮っていたらしいのである。
ちなみに原作者のレマルクは、1916年に志願兵となって予備近衛第2師団の歩兵第15連隊に所属。17年6月に負傷している。
ガキの頃から原作を何度となく読み返し、さらに映画も何度も観ているのだが、その度に感じ方が変わったり、新たな発見がある。古典が持つ力であろう。
この映画は、現代まで続く戦争映画の基本を創った作品といえるが、それは第一次大戦そのものが現代の戦闘の基礎をつくったということでもあり、なにやら皮肉な感もする。
(文=陸軍取扱中尉)
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