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川中島合戦絵巻

川中島合戦は、日本の戦国時代に、甲斐国(山梨県)の武田信玄(晴信)と越後国(新潟県)の上杉謙信(長尾景虎)の両者で、北信濃の支配権を巡って行われた戦いです。
編集部のつわものたちと執筆者が山梨県笛吹市石和で行われた「第3回笛吹市桃の花まつり第29回川中島合戦絵巻」に参加してきました。
掲載している映像は、2007年4月15日に行われた『第29回川中島合戦絵巻』を撮影し、一部を編集したものです。
通説にみる永禄4年の川中島合戦

 川中島合戦は上杉謙信、武田信玄の両者によって12年の間に5回行われているが、戦闘が最も激しかったのが永禄4年の第4回会戦である。
 永禄4年(1561)、上杉謙信は武田軍の北上を食い止めるべく川中島に軍を進めた。その数およそ1万3000。一方迎え撃つ武田軍は海津城に2000の守備隊を配していた。上杉軍は犀川、千曲川を渡河し、海津城の西に位置する妻女山に布陣して海津城に圧力をかける。
 対する武田信玄は1万8000の援軍を率いて川中島西方の茶臼山に陣を布き、両者にらみあったまま戦況は膠着状態となった。
 10日ほど経って業を煮やした武田軍は山本勘助の献策による「啄木鳥(きつつき)戦法」を採り、軍を二手に分け、1万2000の別働隊を妻女山の背後から回りこませて上杉軍を奇襲し、残る本隊8000で八幡原にて待ち伏せ、敗走してくる上杉軍を討たんとした。
 しかし、この武田軍の奇襲を察知した上杉軍は夜陰に紛れて妻女山を抜け出し、武田軍の不意をついて八幡原に現れ、鶴翼の陣を布く武田軍を車懸かりの陣で大いに攻め立て、信玄の本陣に肉薄する。武田軍はきわどいところまで追い込まれたが、駆けつけた別働隊によって形勢は逆転、上杉軍は兵をまとめて善光寺方面へ引き揚げた。
 この激戦の最中、上杉謙信が武田の本陣に斬り込み、武田信玄に斬りつけたと伝え、世に川中島の一騎打ちとして知られる。
 両軍の伯仲した駆け引きと、この一騎打ち伝説があいまって、我が国屈指の名勝負として有名である。

日本最大規模の合戦祭り『川中島合戦絵巻』

 今年、4月15日(日)に行われた『第3回笛吹市桃の花祭り第29回川中島合戦絵巻』は、山梨県屈指の温泉街として知られる石和温泉で始まった合戦の再現イベントで、開始以来約30年、毎年連綿と行われている観光の目玉である。地元の英雄、武田信玄公を顕彰するため、その最大のライバルであった上杉謙信との一騎打ちをメインイベントにした第4回川中島合戦を再現しており、戦国の浪漫を感じさせる雄大な祭りとして知られる。その規模は年々拡大し、本年は両軍合わせて約900名の参加をみた。事前にグループで申し込めば誰でも参加が可能(有料)で、全国の歴史ファンや甲冑のコスチュームプレイを楽しむ若者などに人気である。武田信玄公は笛吹市長が演じ、実際に騎馬で斬りこむ謙信の太刀を軍配で受ける「三太刀七太刀」のシーンは圧巻。歴史ファンなら一度は観てみたい。

川中島合戦絵巻

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