●古武術とは?
現在言われる「武道」あるいは「武術」という言葉のその意味に大きな差異はないと認識されている。
明治期に青少年教育を理念に世界普及を目指し、柔術が柔道に、剣術が剣道に、唐手術が空手道と称するようになった。「術」から「道」への変遷は日本古武術のスポーツ化への歴史といえるだろう。
現在、一般には柔道、剣道、空手道などは現代武道と称し、柔術、剣術などの古流武術を古武術と称する。両者に共通するキーワードは「勝負」だ。しかしその想定するシュチエーションは大きく異なる。現代武道が想定する勝負とは決められた試合場において公正中立の審判の存在と一定のルールの下、行われる勝負であるのに比し、古武術での勝負とは日常生活のなかでの突発的なアクシデントへの対処も含む、命のやり取りを意味している。前者の意味する「勝負」がゲーム的要素を含むのに対し、後者では文字通り命を賭した真剣勝負を意味し、両者の目的は大きく異なり、当然ながら訓練方法も獲得できる能力も異なる。
現代武道では、古武術の核心もいえる危険な「殺し技」を封印し、普遍化させることで世界へ普及させることに成功した。古武術の普遍化はそれまで一子相伝を原則としていた武術の伝承形態から効率のよい団体訓練を可能にし、老若男女が取り組めるシステムを構築した。
古武術を普遍化(スポーツ化)し武道を構築した代償は、危険という理由で排斥した多くの優れた技の失伝といえるだろう。古武術研究家として昨今注目を集める甲野善紀氏の「ナンバ歩き」などに代表される「合理的なカラダの使い方」も武術の普遍化とともに失伝を免れなかった。
未だに現代科学、西洋のスポーツ理論では解明できない、人間が本来有する潜在能力の開発法が古武術には隠されているのである。
●功夫とは?
功夫(ゴンフー)とは中国語で「工夫」「時間」を意味する。また中国武術の代名詞として中国でも一般に認識されている。カンフーとはゴンフーの英語訛りだ。
「時間」をかけて「工夫」された特別な能力を意味する「功夫」という言葉は様々な場面で使われる。たとえば歌の上手い人の事を「歌の功夫がある」と言ったり、腕の良いコックの事を「料理の功夫がある」といった具合だ。当然、中国武術の世界でも武術の腕前を賞して「あの人は功夫がある」「その人の功夫は凄い」などとも形容する。これらに共通する功夫の概念とはつまり「一朝一夕」とか「インスタント」という概念と相反するものだ。
世の中にはどうしても時間をかけないと出来ないモノがある。また時間をかけるほどに熟成する性質のモノがある。酒の醸造や発酵食品などはこれに相当するだろう。人間の場合はどうか?肉体はピークを過ぎると衰えるが、ケーススタディを繰り返して脳が記憶した感覚は年齢や経験とともに磨きがかかる。その結果、極端に無駄を省いた動作が可能となると考えられるのだ。こうして練り上げられたものが中国人の形容する「功夫」といわれるものなのだ。