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千年の時を刻む出羽の古道 「六十里越街道」

【第3回】鶴岡から七五三掛(しめかけ)、大網へ~

注連寺から遠望する月山。(左のなだらかな山が月山)

 東日本を代表する修験の聖地として、出羽三山は一括りに捉えられている。だが、その中にあって湯殿山は特別に位置づけられ、月山、羽黒山とは異なった文化を育み続けてきてきた。六十里越街道を鶴岡方面から湯殿山へ辿ると、そうした文化に触れることができる。
 この地方に数多く現存する即身仏が、他の地域にはない湯殿山の特異な信仰を今に伝えてくれる。是非とも訪れたいのが、湯殿山登拝口の別当寺として隆盛を極めた、七五三掛口の注連寺と大網口の大日坊だ。ここでは湯殿山の開祖は弘法大師とされており、江戸時代に天台宗転宗を迫る羽黒山と、湯殿山の祭祀を巡って論争を戦わせ真言宗を護持し、また明治の神仏分離、廃仏毀釈の時代も仏道を貫き通した。
 湯殿山の西につながるこの街道は、庄内地方の人々だけでなく、遠く秋田あるいは新潟方面からの参詣者も利用したルートである。篤い信仰心に踏みしめられた古道を訪ねてみよう。

本明寺(ほんみょうじ)

 庄内側の六十里越街道の入り口とされる松根から、少し南に下がったところに建つ。湯殿山の真言宗四ヶ寺には数えられていないが、不動山本明寺と号し、元は注連寺の末寺で湯殿山大日如来を本尊とする由緒ある寺院である。
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本明海上人の即身仏
天和3年(1685)入定、庄内地方に現存する6体の即神仏のなかで最も古い。上人は、元富樫吉兵衛という武士で40歳で仏門に入った。そのころ荒廃していた当寺を再興したことでも知られる。なお、即身仏の見学には事前予約が必要。

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大滝山

 「右湯殿山 左大滝山」と刻まれた追分石から徒歩約20分で、大滝山の高い岩壁に突き当たる。岩壁からは枯れることのない滝が流れ落ちており、そばには湯殿山碑が立つ。大滝では鉄門海上人が修行したと伝えられている。


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十王峠

 一帯は赤土のため、雨の日には足が滑り、江戸時代には難所のひとつだった。峠には現在、3体の地蔵尊が立っているが、かつてはその名の通り十王堂があった。この峠の上からは、西に庄内平野、東に月山、湯殿山を望むことができる。







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イタヤ清水

 峠のほど近くにはイタヤ清水がある。名前の由来は、すくって飲むとあまりにも冷たくて歯が痛むからとか。清水の脇にある六地蔵に6回水をかけてから飲むのが習わしだ。








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注連寺(ちゅうれんじ)


 湯殿山真言宗四ヶ寺の一寺。当寺の縁起によると、天長2年(825)、弘法大師が自ら胎蔵界大日如来を刻み開基したとある。大勢の行者がここで入山許可を得て、六十里越街道を湯殿山に向かった。
 また、かつては女人禁制だったため、湯殿山に登拝できなかった女性のための遥拝所としても繁栄した。晴れた日には寺の本堂から、峰を連ねる月山、湯殿山が眺望でき、山に登ることが許されなかった女性たちは、ここで手を合わせ霊山に敬虔な祈りを運んだのだろう。
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七五三掛桜
弘法大師がこの桜の下で修行したと伝えられる。大師が立ち去るとき、この桜の木に注連(しめ)を掛けたという伝承から当寺は注連寺と称され、集落の名前は七五三掛(しめかけ)とされた。

天井画
本堂などの天井は、何枚もの絵画で飾られている。なかにはポップな洋画や原題画もあり、ひときわ目を引く。

鉄門海上人の即身仏
湯殿山仙人沢で5年もの間、厳しい修行を積んだ鉄門海上人は、衆生の救済のために各地を旅し、江戸にも訪れたbst@3.。文政12年(1829)、62歳で入定。

←↑「月山」文学碑と注連寺・森敦文庫は、作家・森敦がここで一冬を過ごした経験をもとに芥川賞受賞作「月山」を著したことでも知られる。境内には「月山」の一節を刻んだ石碑と作品にちなんだ資料を展示する森敦文庫がある。

祈祷簿で作った蚊帳
小説「月山」の象徴的アイテム、主人公が寒さしのぎために祈祷簿を剥がして作った和紙の蚊帳。同名の映画のセットとして使用されたものが森敦文庫の2階に展示されている。

大日坊(だいにちぼう)




 大同2年(807)、弘法大師が湯殿山大権現を招き、女の湯殿山として開基したといわれる湯殿山真言宗四ヶ寺の一寺。正式な寺名は湯殿山瀧水寺金剛院。大日坊という名称は、当寺が隆盛を極めたころにできた僧坊、修行道場、執事本坊、講堂を兼ねた建物が大日坊と呼ばれたことにちなむ。現在の寺院は昭和11年(1936)の地すべりの被災により、規模を縮小して移築されたものであるが、その名称から往時の大伽藍が偲ばれる。
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山門(仁王門)
鎌倉時代の創建、大日坊旧境内から移築したもの。正面には風神・雷神像が、その奥には鎌倉時代を代表する仏師・運慶の作と伝えられる仁王像が安置されている。

真如海上人の即身仏
青年時代から仏門に帰依し、この世を仏国楽土たらしめんと大日坊を拠点に様々な方面の教化に努めた真如海上人。20代より即身仏を志し、70余年の長きにわたり難行苦行を積み、天明3年(1783)、96歳で入定したという。