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千年の時を刻む出羽の古道 「六十里越街道」

【第2回】山形、寒河江から湯殿山へ
江戸時代には東日本最大の山岳宗教の聖地であった湯殿山。六十里越街道は遥か古代から、物資とともに人の心も運んでいた。ここは内陸(山形市)から湯殿山へと人々が歩んだルート。ブナの林に抱かれた苔むす古道をたどってみよう。 

 出羽三山のひとつ、霊峰の誉れ高き月山への登拝口は、古来より「八方七口」と呼ばれる7カ所が開かれていた。そのうち月山の北側に位置する羽黒口と肘折口の2カ所を除く、岩根沢、本道寺、大井沢、七五三掛(しめかけ)、大網の5口は、すべて六十里越街道沿いに開かれており、しかも直接湯殿山に登拝するのに好都合な立地であった。
 江戸時代に入ると出羽三山信仰の主体が湯殿山に移ったことで、それまでの月山を中心とする三山回峰参拝ではなく、湯殿山参りが全盛を迎える。さらに経済的な側面からも重要性が増して街道の整備が進められたことも拍車をかけ、六十里越街道は東北地方のみならず遥々関東地方からも訪れ、数多くの参拝者で溢れかえった。

岩根沢三山神社(旧・日月寺)

等身大の大黒様の木造

 六十里越街道沿いから北へ2kmほど入った岩根沢の集落に建つ。かつて神仏習合時代は日月寺(天台宗)と称する月山への登拝口・岩根沢口の別当寺で、江戸時代の羽黒山中興の祖と呼ばれる第50代別当・天宥の出身寺としても知られる。
 周囲約3m、高さ約16mの柱6本が建つ大賄部屋(台所に相当)。その奥の2本の柱には、等身大の大黒様(写真)と恵比寿様が安置されている。
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本道寺口之宮湯殿山神社(旧・本道寺)

 神仏分離後は神社となっているが、かつては八方七口のひとつ本道寺口の別当寺で、湯殿山真言宗四ヶ寺に数えられる本道寺。「湯殿山大権現に通ずる本道とならん」と弘法大師が宣って開基したと伝えられる。寺のある集落名も本道寺といい、江戸時代には20数軒もの宿坊が並び、ひと夏に3万人もの参拝者が訪れる賑やかな門前町であったという。

本道寺口之宮湯殿山神社は、現在の国道112号線に面して建つ。この石段を上がると社殿。国道の下をくぐり、杉木立の参道を下ると旧・本道寺の山門へと至る。

神仏習合時代の名残を留める仏足石。文政7(1824)年、大蔵経第七十七巻の「千輻輪相顕密集」にある図像を元に造られたと伝わる。

旧・本道寺に安置されていた2体の仁王像。神仏分離の際、仙台に移されたが、100年ぶりに当地に戻された。

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一本木沢の追分石

 現在の国道112号線から六十里越街道へ入ると西川町側の入り口に当たる。「右 庄内湯殿 左 大井沢」とある。山形、寒河江方面から来た旅人と、置賜地方から大日寺を経て来た旅人が、ここで合流して志津へ向かった。


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四ツ谷山の神

 月山湖の寒河江ダム建設に伴い水没した四ツ谷集落。その集落内にあった石碑群を合祀したもの。山神、姥神の石碑や六地蔵供養塔などがある。


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志津口留番所付近/石畳が残る旧街道

 内陸と庄内地方の接点に当たるのが志津。街道の宿場駅として、湯殿山参拝者も物資を流通する者もともに往来して栄えた。湯殿山の東側には石畳の古道などが復元され、往時の街道の風情を再現、ハイキングには格好のエリアである。
 また、志津には10数軒の温泉宿(月山志津温泉)があり、現代の旅人にとっても最適の宿泊地となっている。
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二丁石
人がすれ違うのがやっとの幅しかない古街道。傍らには草木に埋もれるように、志津口留番所からの距離を標示する石が残されている。

志津口留番所跡
今は何も残されていない空地だが、この辺りに番所があった。

番所跡付近に立つ「六十里越街道」の碑。

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常夜燈、石碑



(上)常夜燈 (下)周辺の石碑群

 内陸から志津の集落へ入る手前に口留番所が置かれていた。常夜燈は、文化4(1807)年に奥州信夫郡飯坂(現・福島市)の信者が養蚕繁昌を願って湯殿山に寄進したもの。周辺には、他にも庚申塚など篤信の信者から寄進された8基の石碑が並ぶ。碑文が読めないほどに苔むした様が時代を感じさせる。
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五色沼
神秘的な色をたたえる五色沼。歩くと1周約20分ほどの小さい沼で、水辺の自然や景色を楽しめる。天気のいい日には、この沼越しに湯殿山(神社ではなく山そのもの)を拝することができる。

不動院跡
五色沼の畔、かつて不動院があったこの場所に、大日如来の旧台座、禊ぎの洗い場、行人碑などの石碑群が残る。湯殿山を目指した行者はこの先で六十里越街道を離れ、玄海(現在の県立自然博物園のあるところ)方面へと深い山道に分け入った。