千年の時を刻む出羽の古道 「六十里越街道」 江戸時代には東日本最大の山岳宗教の聖地であった湯殿山。六十里越街道は遥か古代から、物資とともに人の心も運んでいた。ここは内陸(山形市)から湯殿山へと人々が歩んだルート。ブナの林に抱かれた苔むす古道をたどってみよう。 出羽三山のひとつ、霊峰の誉れ高き月山への登拝口は、古来より「八方七口」と呼ばれる7カ所が開かれていた。そのうち月山の北側に位置する羽黒口と肘折口の2カ所を除く、岩根沢、本道寺、大井沢、七五三掛(しめかけ)、大網の5口は、すべて六十里越街道沿いに開かれており、しかも直接湯殿山に登拝するのに好都合な立地であった。 ● 岩根沢三山神社(旧・日月寺) 六十里越街道沿いから北へ2kmほど入った岩根沢の集落に建つ。かつて神仏習合時代は日月寺(天台宗)と称する月山への登拝口・岩根沢口の別当寺で、江戸時代の羽黒山中興の祖と呼ばれる第50代別当・天宥の出身寺としても知られる。 ● 本道寺口之宮湯殿山神社(旧・本道寺) 神仏分離後は神社となっているが、かつては八方七口のひとつ本道寺口の別当寺で、湯殿山真言宗四ヶ寺に数えられる本道寺。「湯殿山大権現に通ずる本道とならん」と弘法大師が宣って開基したと伝えられる。寺のある集落名も本道寺といい、江戸時代には20数軒もの宿坊が並び、ひと夏に3万人もの参拝者が訪れる賑やかな門前町であったという。
● 一本木沢の追分石 現在の国道112号線から六十里越街道へ入ると西川町側の入り口に当たる。「右 庄内湯殿 左 大井沢」とある。山形、寒河江方面から来た旅人と、置賜地方から大日寺を経て来た旅人が、ここで合流して志津へ向かった。 ● 四ツ谷山の神 ● 志津口留番所付近/石畳が残る旧街道 内陸と庄内地方の接点に当たるのが志津。街道の宿場駅として、湯殿山参拝者も物資を流通する者もともに往来して栄えた。湯殿山の東側には石畳の古道などが復元され、往時の街道の風情を再現、ハイキングには格好のエリアである。
● 常夜燈、石碑 内陸から志津の集落へ入る手前に口留番所が置かれていた。常夜燈は、文化4(1807)年に奥州信夫郡飯坂(現・福島市)の信者が養蚕繁昌を願って湯殿山に寄進したもの。周辺には、他にも庚申塚など篤信の信者から寄進された8基の石碑が並ぶ。碑文が読めないほどに苔むした様が時代を感じさせる。 |