日本の歴史を牽引してきた~鉄道遺構を訪ねる 1870年(明治3)、明治政府は東西の両京を結ぶ鉄道幹線計画に着手した。当初、東海道と中山道ルートの2案が検討された。この2ルートを比較すると、東海道ルートは水運の便がよく道路も開けていたが、戦争で敵国が上陸してきた場合、寸断される危険があったため、今後の沿線の発展も考慮され、中山道沿いに幹線を敷設することが決定していた。しかし調査した結果、中山道はルートに難所が多く、工期・工費に問題があり、早期に幹線建設が望まれていたことから東海道ルートへと計画が変更された。 ● 峠の湯 弱アルカリ性低張性の天然温泉が人気。2階の露天風呂やウッドデッキからは裏妙義の山々が一望でき開放感も抜群。峠散策の後に立ち寄るにはぴったりだ。リラクゼーションルームや大広間でのんびりできるほか、レストラン「亜符杜(アプト)」のランチバイキング1,000円(土・日・祝のみ)もおすすめ。 ←(上)めがね橋を模した峠の湯の外観。 ● 「アプトの道」のトンネル アプトの道に連なるトンネルは、レンガ造り、切り石積みなど、それぞれに形やデザインが異なり、当時の先端技術を見ることができるトンネル博物館といった感じだ。よく見れば、そこにはさまざまな技法が使われており、明治の職人の心意気が感じられる。蒸気機関車運用時、26ヶ所あったトンネルのうち20ヶ所には、隧道番(トンネル番)が配備されていた。速度の遅いアプト式機関車ではトンネル内に煙が逆流し危険だったため、列車が通過するたびに入口に幕を下ろすのが隧道番の役目だった。隧道番はトンネル入口脇の官舎に家族で住んで勤務していたという。第2トンネルの横川側入口には、現在も幕引きのためのピンが残っている。 ●トンネル各部分の名称 ↑第16トンネルの横川側入口 ●第1トンネル アプトの道で最初に出会うトンネルで旧国道からもよく見える。峠の入口にあるためか、横川側は石造りの立派な構えで、軽井沢側はレンガ造りだ。旧国道18号線をくぐり抜けている。昔はこの入口付近には10軒あまりの国鉄官舎が建っていた。長さ約186m。 ←国道から見えるためデザインも考慮された
●第2トンネル 出入口はどちらもレンガ造り。虚空蔵山(こくぞうざん)と旧碓氷峠のある刎石山(はねいしやま)の鞍部に位置する。軽井沢側に出たところが碓氷湖。旧国道に連絡しているほか、碓氷湖へと降りる道がある。長さ約113m。 ←第2トンネルの横川側。遊歩道は入口のところで大きく迂回している。
●レンガの積み方
●第3トンネル 国道からよく見えるため横川側、軽井沢側、両方の入口とも石造り。ピラスターや幅の広いウイングもある重厚な外観に整えられている。内部はアプト時代にかなりの部分がモルタルで補修されているほか、遊歩道化に際して危険部分は補強工事施されている。長さ約78m。
●第4トンネル 軽井沢側出口付近の壁などには、小口面に手裏剣型(星形)の刻印があるレンガが見られる。これは埼玉県深谷市にあった「日本煉瓦製造会社」のマーク。碓氷線の建設では多量のレンガが必要とされたため、軽井沢塩沢地区に急遽造られた工場で製造されたレンガも使われている。長さは約100m。 ●第5トンネル 約244mと比較的長いトンネル。中で緩やかにカーブしている。横川側はレンガ造りだが、めがね橋へと続く軽井沢側はキーストーンを持った石造りの外観になっている。軽井沢側を出て左手には遊歩道があり、めがね橋を横側から眺められる。 ←第5トンネルの横川側。入口手前には第10カルバート(溝渠)がある。
●第6トンネル 長さ約551mあり、碓氷線で最長のトンネル。全体がS字型にカーブしており、トンネル中間の側壁に換気用の開口部が2ヶ所ある。めがね橋に面した横川側は大きなウイング、石積みのピラスターをもつ美しいデザインになっている。この第6トンネルより先は、現在のところ立ち入り禁止になっている。 |