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「城下町探訪」 伊賀上野―築城の名手・藤堂高虎の城をいただく“忍の里”

Ⅰ 城郭の見どころ

伊賀上野城   旧 崇廣堂

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伊賀上野城

●高石垣

直高約30m、大坂城や姫路城と並び日本有数の高さを誇る。築城の名手と謳われた高虎の真骨頂である。打込接(うちこみはぎ)で積まれた精緻な壁面構成と、緩やかな曲線を描く角部分の算木積(さんぎづみ)が美しい。

(上)本丸側から見ると、その高さを実感できる。
(左)内堀北西側からの眺め。

 

●天守

現在の天守は、昭和10年(1935)に、長く衆議院議員を務めた地元の名士・川崎克氏が私財を投じ復興したもので、正式には伊賀文化産業城と称する。実際にはなかった天守ではあるが、築70年以上を経てすっかり町のシンボルとして定着している。

(上)昭和8年11月、天守閣棟上げの模様。(写真提供:財団法人伊賀文化産業協会専務理事・福井健二氏)

(左)明治時代に入り廃城後も、東大手門は三重県庁上野支庁として使用されていたが、明治20年(1887)に解体されている。(写真提供:財団法人伊賀文化産業協会専務理事・福井健二氏)

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講堂にかかる扁額は、米沢藩主・上杉治憲(鷹山)の揮毫。

旧 崇廣堂

崇廣堂は文政4年(1821)、伊賀・大和・山城の領地に住む藩士子弟の教育のため、津の藩校・有造館の支校として、伊勢津藩10代藩主・藤堂高兌の時代に開校。講堂をはじめ、門や玄関棟など主要な建物が創建時のまま残る。 

旧 崇廣堂 講堂内部
巧みに中庭を配した造りで、講堂内には、夏でも涼しい風が吹きわたっていた。

赤門と通称された弁柄塗りの表門。見学者もこの門をくぐって入館する。門の奥に見えるのが玄関棟で、いずれも創建時代の建物。


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