サイト内検索

「城下町探訪」 佐倉―チューリップが咲きオランダ風車が回る城下町

Ⅱ 町の見どころ

武家屋敷地   旧堀田邸   佐倉順天堂記念館   千葉県立佐倉高等学校記念館
甚大寺   松林寺   市内に残る風情ある建築物

※「Information」マークのついてる写真はクリックすると、詳細情報がご覧になれます。

武家屋敷地

元々武士の居住地であった城址公園の南東・鏑木小路に、江戸時代後期建築の武家屋敷3棟が移築復元されている。この3棟はそれぞれ俸禄の異なる武家の住まいで、身分の違いで住まいの広さ、間取りにどれほど違いがあったのか見ることが出来る。なお、明治維新後は、多くの武家屋敷がそのまま軍人用屋敷に転用されたという。

●旧河原家住宅
石高300石以上の屋敷で3棟のうちで最大。室内には当時の調度品も飾られる。 

●旧但馬家住宅
石高100石以上の屋敷。屋敷地の形や植栽などの様子もよく残っている。

土塁や生け垣が風情を醸す武家屋敷が並ぶ通り。

●旧武居家住宅
石高100石未満の屋敷。藩士の生活に関する資料も展示されている。

TOP    BACK

旧堀田邸

最後の佐倉藩主となった堀田正倫の邸宅。明治23年(1890)竣工、門番所が付いた門や土蔵と、伝統的な和洋式建築の母屋が残る。また、手前を流れる高崎川や対岸の台地を借景とする庭園は「さくら庭園」と呼ばれ、四季を通し訪れる者の憩いの場になっている。

(左)花の季節もいいが、新緑の頃も美しい。
(写真協力:佐倉市)

TOP    BACK

背後の白い鉄筋の建物は、現在の佐倉順天堂医院。

佐倉順天堂記念館

堀田正睦が招請した高名な江戸の蘭方医・佐藤泰然が、天保14年(1843)に医院兼蘭学塾として創設。入塾者は近隣の藩に留まらず全国各地から集まり、後に日本の医療に近代化に資する優秀な人材を育成した。記念館の建物は安政5年(1583)築の歴史的建造物で、館内には往時を偲ぶ歴史資料や医療器具、書籍などが展示されている。

(上)記念館裏に建つ佐藤泰然(写真右)・舜海碑(写真左)。舜海は泰然隠居後、後を継いだ佐藤尚中に師事し、さらに尚中の隠居後の佐倉順天堂を担いだ。近代的な病院へと発展させた。

(右)記念館敷地内に建つ佐藤泰然像。藩内でいち早く牛痘法接種による天然痘予防を進めたことでも功績を残す。

TOP    BACK

千葉県立佐倉高等学校記念館

寛政4年(1792)、時の城主・堀田正順が開設した藩校「佐倉学問所」を淵源とし、以降「温古堂」「成徳書院」と名を変え、千葉県立の旧制中学校時代を経て、県立佐倉高等学校になった。当時としては非常に希なことに正順の時代から蘭学を取り入れ、後の正睦の時代には隆盛を極め、老中首座あるいは外国事務取扱として幕政の中心を担う藩主・正睦を支える開明的で有能な藩士を多数育成した。なお、明治の旧制中学時代、県の財政難から廃校の危機に瀕した際、私財を投げ打って学校の存続させたのが、最後の佐倉藩主・正倫であった。記念館として残っている現在の建物は、正倫の寄付で建設されたものである。また、同校敷地内の地域交流施設・展示室には、藩校時代からの史料や、『ハルマ和解』『ドウーフ・ハルマ』等の蘭和辞典、『ホッタイン博物誌』といった貴重本が保管されている。

(上)明治時代の洋風建築の美しさを伝える県立佐倉高等学校記念館。なお、この記念館は現在も佐倉高校の校舎として使用されている。

(右)校庭に建つ堀田正倫像。

TOP    BACK

正睦の墓。佐倉小学校のすぐ側だが、木々に被われ静かな佇まい。

甚大寺

元は出羽国山形城下にあった天台宗寺院で、延享3年(1746)に堀田正亮が山形藩から転封されたのに伴い、佐倉に移された。その正亮以降、佐倉藩主を務めた正俊系堀田家の祖となる堀田正俊と正睦、正倫の墓が祀られている。

甚大寺本堂。本尊は不動明王。

TOP    BACK

松林寺

佐倉に城を築いた土井利勝の創建。正睦の時代、藩命で蘭学を学び、幕府の海外文献翻訳機関「蕃所和解御用」、洋学校「蕃所調所」で働いた有能な藩士・木村軍太郎もこの寺に眠る。



(右)松林寺本堂。阿弥陀如来を本尊とする浄土宗寺院。

TOP    BACK

市内に残る風情ある建築物

旧成田街道や、江戸時代からのメインストリートである新町通り、それに続く蘭学通りを散策すると、江戸時代から明治、そして昭和初期に至る各時代の趣を現代に伝える建築物を見ることが出来る。





(左)裏新町の共同井戸。町が丘陵地帯に形成されたため、深い井戸が必要となり、自前の井戸を掘れない家庭はこうした共同井戸を使用した。(地図④)

旧街道沿いに建つ茅葺き屋根の民家。元は商家だったという。(地図①)

大正時代に建築された旧川崎銀行佐倉支店。現在は市立美術館のエントランスホールとなっている。(地図②)

新町通の商家。正睦の時代、剣道の他流試合のために佐倉を訪れた桂小五郎が宿泊した旅館・油屋。その跡地に、明治時代初めに建てられた呉服商・駿河屋。現在は町散策者のためのお休み処・一里塚となっている。(地図③)

藩政時代に御用商人(呉服商)を務めた三谷家の住宅。出桁造りの主屋に並んで袖蔵が建つ伝統的な商家の建築。(地図⑤)


マップ&佐倉城データ    Ⅰ 城郭の見どころ    Ⅲ 町角情報