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ブルーインパルス

『ブルーインパルス』は、航空自衛隊のフライバイチームです。一般的には、カラフルな塗装を施した機体を駆って様々なアクロバットを行う「曲技飛行チーム」といえばわかりやすいでしょう。『ブルーインパルス』の活動の中で、最もよく知られているのが自衛隊の各基地で行われる航空祭や、様々な式典での展示飛行です。
掲載している映像は、2006年の航空自衛隊入間基地航空祭の際に撮影したもので、当日行われたアクロバット飛行の一部を編集したものです。
ブルーインパルスとは?
『ブルーインパルス』は、航空自衛隊内にて1960年4月に正式発足したフライバイチームで、空中機動研究班(飛行技術の研究班)が当時の正式名称でした。ちなみに、それ以前にもチームとして、数度の展示飛行を行っています。
 最初の飛行展示は、航空自衛隊浜松北基地開庁記念式典に臨時編成チームで臨んだフライトで、1958年10月のことでした。ファンの中には、この初飛行をもって『ブルーインパルス』誕生としている方もいるようです。
 やがてチームの愛称が公募され、『天竜』の名が採用されましたが、後に現在の『ブルーインパルス』という名称に変更されています。ちなみに『ブルーインパルス』は、英語で『BLUE IMPULSE』。「蒼い衝撃」という和訳が一般的です。
 ブルーインパルスの名を広く知らしめたのは、1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博での飛行展示です。中でも東京オリンピックでは、蒼空にスモークでオリンピックのシンボルである五輪を見事に描き、国内外から喝采を浴びました。
 その後、活動休止の時期もありましたが、現在は広報活動(展示飛行を通じて)を主任務とする第11飛行隊『ブルーインパルス』として広く親しまれています。
アクロバット飛行とは?
 アクロバット飛行は、航空機によって様々な機動を行うことで、シンプルな宙返りから旋回や急上昇、錐揉み降下など複数の技を組み合わせた高度なものまで、多くの飛行テクニックが編み出されています。
 アクロバット飛行の萌芽は、第一次大戦後に軍を退いたパイロットが自慢の腕を披露してショーを行ったのが始まりといわれ、当時はサーカス飛行などとも呼ばれました。単純に飛行テクニックを見せるだけでは飽き足らず、飛行中に翼の上を歩くといった、文字通りサーカスの曲芸のようなことも行われ、人気を集めていました。
 第2次大戦を経て、各国の空軍で戦技研究や広報活動、国威高揚といった目的のためアクロバット飛行チームが発足し、現在も数多くのチームが蒼空にスモークの軌跡を描いています。軍のチームとしてはアメリカ空軍の『サンダーバーズ』、同じく海軍の『ブルーエンジェルズ』、イギリス空軍の『レッドアローズ』、フランス空軍の『パトルイユ・ド・フランス』、イタリア空軍の『フレッチェ・トリコローリ』などが有名ですが、民間にも軽飛行機を使用するアクロバットチームが多数あり、日本では、『エアロック』が有名です。
『ブルーインパルス』の使用機
 発足当時の『ブルーインパルス』は、当時、航空自衛隊の制式ジェット戦闘機だったノースアメリカンF-86Fセイバーを使用していました。後にセイバーの老朽化にともなって使用機を国産の超音速ジェット練習機T-2に変更(1981年)、1994年には現在の使用機であるジェット練習機T-4へと変更されました。
 超音速機であるT-2を使用していた時代は、大柄な機体とスピード感によるダイナミックなアクロバットで人気を集め、中でも離陸時に炎の尾を引くトーチングはT-2時代の特徴の一つでした。
 なお、セイバー時代の塗装は、青と白を基調にしつつ、機体下面とドロップタンクは赤く塗られており、『ブルーインパルス』=青い塗装では必ずしもありませんでした。T-2では塗装デザインが一般公募され、濃い青色の塗装面積が多くなって、超音速機であることも手伝ってまさに『蒼い衝撃』のイメージになりました。現在のT-4は、上面は白の、下面は青の面積が多い塗装になっています。
 ところで、『ブルーインパルス』を略して呼ぶ際には、使用機を頭につけて『T-4ブルー』と呼ぶことがファンの間では一般的なようです。セイバー時代には『ブルイン』という略名も一般的で、年配のファンの方は今も『ブルイン』と呼ぶ方が多いようです。

ブルーインパルス ムービー①

ブルーインパルス ムービー②

ブルーインパルス ムービー③