THE WAR MOVIE セレクション

映画好きの編集者がリレー形式で、戦史を題材にした映画をご紹介するという、雑誌『歴史群像』の名物コーナー。記念すべき第1回は、2000年7月発売の「夏-秋号(No.43)」に掲載されました。

【第25回】 『ヒトラー~最期の12日間~』(2005・ドイツ)

 昨年公開され、先頃DVDもリリースされた本作品、主人公であるヒトラーの女性秘書ユンゲ(アレクサンドラ・マリア・ララ)を狂言回しに、ヒトラーと第三帝国首脳部の最期の日々を描いた群像劇である。
 この作品を簡単に述べると、「明るい闇」とも表現すべき幻想的な重苦しさと、ちょっと不親切な脚本と演出、といった印象である。
「不親切」というのは、大状況が見えない、今どのような状況にドイツが置かれているのかがわからない、またキャラクターがどういう立場の人物なのか、一見してわからない、ということだ。なにしろ、作中のヒトラーは、追い詰められて取り乱す―ややエキセントリックな―初老の人物にしか見えない。
 昨今の映画やTVドラマが、分かり易さを優先しているのとは対極にあるといえる。
 また「幻想的」というのは、この作品が、ヒトラーを演じたブルーノ・ガンツの迫真の演技を筆頭に、大戦末期のドイツ軍の軍装や、党、ヒトラーユーゲントの制服、または戦闘シーンなど「リアリズム」を追求しているのと反対の評価ではある(ちなみに似せやすいヒムラーはともかく、フェーゲラインやギンシェ、シュペーアがよく似ている)。
 このように書くと本作は、監督の意図に反した、なにか失敗作のように思われてしまうが、無論そうではない。いまだ、個々の場面が脳裏に浮かぶほどの傑作なのである。
 多くの研究者が述べてきたように、ナチズムがドイツを支配した理由に、第一次大戦の敗戦とベルサイユ体制下の疲弊したドイツ人にナチスが甘い幻想を抱かせたことがある。無論ナチス首脳部自らもその幻想に浸っていた。
 こうした研究を踏まえて見れば、大状況が見えない不親切さは、密室である総統官邸地下壕という舞台装置と相まって、現実を直視できない(しない)ということを描くための有効な演出方法といえる。そしてこの手法で、第三帝国のデッド・エンドを幻想的に描くことは、ナチズムの本質を描くことであり、本当の意味でのリアリズムであろう。
 筆者にとって印象的だったのが、ヒトラーユーゲント高射砲隊員の死や、ゲッベルス夫妻の自殺のシーン。カメラはその瞬間からフッと目をそらす。「人間、見たくないものは、どのような状況でも見ない」という、まさに人間の本質の一つを衝いた描写だといえる。
 こうして映画は、ひたすら重苦しくリアルな幻想の中で、破滅へと突き進むのだが、エンターテインメントらしく最後には、カタルシスもある。それが戦闘終結直後に主人公が見上げる、5月の透き通るような青空である。だが、それでさえ、当時のある種の心証風景の巧みな描写であり、シュペーアが戦後回想したヒトラーのカリスマの呪縛から逃れられた瞬間と照応する。
 映画にとって必要なことは、分かり易い説明をすることでも、巨大なセットを造ることでも、スプラッタじみた「リアル」な描写をすることでもない。人間心理の本質を映像で描くことなのである。

(文=R・Vヒグチェンブルグ)

第1回  第2回  第3回  第4回  第5回  第6回  第7回  第8回  第9回
第10回  第11回  第12回  第13回  第14回  第15回  第16回  第17回  第18回
第19回  第20回  第21回  第22回  第23回  第24回  第25回