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「城下町探訪」 川越―東京がなくした江戸が残る城下町

Ⅱ 町の見どころ①

喜多院  仙波東照宮  中院  新河岸川の河岸跡  氷川神社  蔵造りの町並み  近代のモダンな建築

※「Information」マークのついてる写真はクリックすると、詳細情報がご覧になれます。

喜多院

天長7年(830)、慈覚大師円仁の開基の無量寿寺を前身とする。鎌倉時代初期に兵火を被るが、13世紀末に尊海僧正によって再興、北院・中院・南院となる各房が併設され、関東天台の中心となる。その北院が喜多院と改められたのは慶長17年(1612)。徳川家康の厚い信頼を得、後に秀忠、家光にも仕えた天海僧正が住職を務める時代であった。寛永15年(1638)の川越大火では、山門以外の堂宇を焼失するが、このとき上野寛永寺の住職であった天海から将軍・家光への働きかけもあり、ただちに復興がなされた。現在の喜多院に残る客殿、書院、庫裏の建物はその際に江戸城紅葉山から移築されたもので、そのため家光誕生の間や春日局化粧の間といった貴重な江戸城の遺構が、ここ川越に残ることになったのだった。なお、逆に川越から江戸(東京)に移築された建築物としては、明治維新時に彰義隊の戦いで失われ、現在上野寛永寺の本堂となっている喜多院の薬師大堂が挙げられる。

●慈恵堂
元は鎌倉時代に尊海僧正が建立、比叡山中興の祖・慈恵大師良源を祀る。現在の堂は江戸時代に再建されたもの。

●客殿
江戸城から移築、家光誕生の間がある。また本尊の阿弥陀如来もここに祀られる。

●天海僧正像(左上)
山門前に建つ。陸奥国の生まれと伝えられるが、出生年を始め、その前半生は謎に包まれたところが多い。1588年に当寺に入り天海と号したとされている。慶長4 年(1599 )に第27世の住職となる。家康の死後、神号の決定や久能山から日光への改葬に大きな影響力を持った。家光時代には上野寛永寺を建立。寛永20年(1643)、108歳での大往生であったという。

●慈眼堂(右上)
天海僧正を祀る。

●五百羅漢(左)
川越北田島の農家出身の僧・志誠の発願により、飢饉のあった天明2年(1782)から約50年かけて建立された。

●多宝塔(上)春の境内は桜の名所として賑わう。

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仙波東照宮随身門。この門をくぐり石段を登ったところに拝殿、本殿等が建つ(普段は塀の外からしか参拝できない)。

仙波東照宮

徳川家康=東照大権現を祀る。日光、久能山(静岡市)と並び称される三大東照宮の一社。元和3年(1617)、改葬のため家康の遺体を久能山から日光へ移送する途中、天海僧正により喜多院で大法要が営まれたことにちなみ寛永10年(1633) に建立。寛永の大火で焼失後、寛永17年(1640)に再建された。

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中院

無量寿寺が尊海僧正によって再興された際、学問所として開かれた。

(上)墓地には島崎藤村の義母・加藤みきの墓があり、境内には藤村がみきに贈った茶室「不染亭」が移築されている。

(左)閑静な境内は四季折々の風情を楽しめる。

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(上)往時の隆盛を今に伝える舟問屋・伊勢安の豪壮な店構え。

新河岸川の河岸跡

商業都市・川越の繁栄をもたらせた新河岸川の舟運。東武東上線新河岸駅から東に歩いて10数分、新河岸川に架かる旭橋の周辺には、河岸の面影が残る。

(上)旭橋から望む新河岸川。橋のたもとには河岸場跡の碑が建つ。




●仙波河岸史跡公園(左)
仙波河岸は公園として整備されており、水と緑の憩いスペースとなっている。


マップ&川越城データ    Ⅰ 城郭の見どころ    Ⅱ 町の見どころ②    Ⅲ 町角情報