編集後記

小型潜水艇・雑感

 157号の第三特集では「小型潜水艇全史」として、日本海軍の「甲標的」から人間魚雷「回天」までの、100トン以下の潜水艇を取り上げました。日本海軍の小型潜水艇を網羅して詳解するとともに、太平洋戦争の推移が小型潜水艇の性質や任務に影響を与えていった背景がわかる内容となっています。
 さて、軍事用の小型潜水艇(あるいは単に潜水艇)は英語で「Midget submarine(ミゼット・サブマリン)」と呼ばれていますが、小型潜水艇自体は軍事用だけでなく、民間用としても世界中で活躍しています。例えば、南の島などの観光地では、水中の景色を見せる観光用の小型潜水艇が、多くの観光客を楽しませています。この場合、数十人の観光客を乗せることができますが、2~3人乗りの遊覧潜水艇も存在します。ただしこれは、お金持ちが個人的に購入して楽しむことを主な目的としたもののようです。
 さらに、研究・調査用の「海底探査艇」があります。有名なところでは1960年、マリアナ海溝で1万911mにまで潜水したバチスカーフ(深海探査潜水艇)の『トリエステ』号があり、この他、日本の『しんかい6500』や、海底に沈んだ客船『タイタニック』や戦艦『ビスマルク』を撮影したロシアの探査艇『ミール』などがあります。こうした水中の探査・調査用の潜水艇には、無人のものも存在します。
 この他にも潜水艦救難用とかいろいろあり、その分類方法も複雑なので、ここではざっくりとしか述べませんが、甲標的から『深海6500』、観光用に至るまで、その性質は汎用性よりも一つのことに特化したものだといえます。まあ、大きさからして多くのことができるわけでもないのですが、私としては小型潜水艇は「小さいながらも、一つのことをやり抜くプロフェッショナル」というイメージがあって、クールな感じがいたします。
 ただし、そのプロフェッショナル性が、「回天」のような特攻に特化するというのは、やはりやりきれないものを感じます。なぜ日本海軍の小型潜水艇が、そこに至ったのかは、今号をご覧ください。

(by 菌之介/歴史群像157号)

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